バックアップ表示#freeze *&date(Y-n-j[lL],2016/1/17); 1月17日。かつてこの地域では毎月17日は山の神の日とされ木を伐ってはいけないと考えられてきた事もあった。まさにそんな罰当たりな所業に相応しい日。 木を伐る事は森を育てる事、などと林業人はこの仕事を正当化するけれど、良い伐採と悪い伐採がある事を認めるべきだ。そして、今日の伐採はあきらかに悪い伐採だ。 このような悪事を、見ず知らずの業者にやられるよりは、この山にかかわる者の責任として自ら手を下す、せめて材としての利用価値が少しでもあるこの時期に、明日からの雪降りの予報を前にして、あるいは週日の多忙を言い訳にして、とにかく今日を選んだ。 日々の伐採現場から離れている週末伐倒手の体力低下も含めて熟慮を重ねた手順。ヒノキはあまりにも素直にチェーンソーの刃を受け入れる。もしかしたら、この木に殺されるかもしれないという恐怖心は刃を入れたときには消えた。 巻き添えの木を最小限にするために伐倒方向は真下しか選べない。後処理を考えると最悪。朝から一本のヒノキを伐倒し枝払い造材を終えたのは昼前だった。 補足 正しくは恐怖心は昨日朝までには解消していた。昨日が本来の伐倒日だった。 久々に急斜面上の大径木(チェーンソーのバーの長さを超える木を大径木と考えている。)の伐採であり、珍しく怖いという思いにとらわれてしまい、夜も寝るられず、横になってからも伐倒イメージを何度も描いていた。 だいたい大径木を伐るというのは、例外的な場合がほとんどで、工事の支障木のようなケースなので、あまり嬉しくない伐採なのだ。まして荒山林業地での事、決して良い木とは呼べない類のものではあったけれど、通常なら絶対に伐ることなどあり得ない。 そんな木をまとめて伐る。なかでもあのヒノキは、現時点では用材木としては劣悪で、それでいて伐りにくいし、枝はらい造材もきわめてやりにくくなることが確実な木だ。 木を伐るときに、私はその木の中心に自らの中心を合わせようと心がけている。 身体動作の軸を重心線に合わせ、そこから木の中心に意識を集中する。 そうすることで、樹木の占める空間を立体的に把握すれば、原理的には伐倒の失敗はあり得ない。自分が倒れようと思ったところに倒れることは容易にできる、それと同じような感覚を樹木に対して持つことが、正確な伐倒の基本原理なのだ。
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