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    *所有と経営の分離でいいのか
    という課題での文章をまとめるための素材集
    
    小規模森林所有者にとって伐採から植裁まで含む総合的な林業経営を自ら行うのは容易なことではない。というわけで、森林の所有と林業経営を分離していくことが林業改革のためには避けて通れないという論調がある。
    
    私自身、自己所有地が全くない完全な事業体林業を営んでいるわけで、森林施業計画にいちはやくとりくみ、新しい経営計画制度への移行を考えるなど、所有と経営の分離を最も推進してきた立場にいることは間違いない。
    
    特に補助金林業と呼ばれる現在の林業経営の現実では、複雑怪奇な補助金システムを活用するためにも、専門組織が担い手になる以外に現実的に業としての林業はなりたななくなってしまっている。
    
    そんな状態のまっただ中で仕事をしながら、自分の暮らす集落周辺の里山の集約化に取り組めるようになったのはわずかに2年前。その頃から、事業体林業と生活の場における山仕事のあり方について悩み続けている。
    
    所有と経営を分けることが本当に合理的な森林づくりになるのか。
    
    *自営的山村生活
    *自営的山暮らし林業
    
    かつての里山的な自家薪炭林は小規模自営が原則だった。
    私は山どころか自らの立つ地面の一片さえも所有した事がない。そんな人間が林業を仕事にしているのだから、すべては人様の所有林で仕事をさせていただいているという立場だ。
    
    %%しかし自家用材を自らの森林だけで賄うためには長期計画的造林と森林配置が必要で、個人の副業の範疇では数世代に1回の新築から数年ごとの補修に至るまでの用材を確保し続けることは現実には難しい。%%
    山仕事をはじめてから16年目にして、目の前の山の仕事をする機会がようやく巡ってきたとき、私の仕事はすでに現場作業から離れて管理業務中心になっていたけれども、ここの伐採だけは自分でやりたいということで、ほんの一日か二日伐採作業に参加した。
    
    生活に必要な燃料や資材・住宅用材などをまかなうために必要な森林面積は、地域の森林の生産力(地位)によって決まる。気候と生活様式によって世帯あたりに必要な木材の量は異なる。結果としてそれぞれの地域の森林の条件によ森林に依存して生活していける人口が決まってくる。
    森林を所有していても、林業経営をしている人などほとんどいない現状では、わずかな植林地でさえも手が入らず、森林は放置状態である。そこにうまい補助金をつかって一気に手入れをしようという話になったとき、集落で唯一林業を生業としている私に、仕事のとりまとめから補助申請の手続きまで一切がまかされることになったのは、止むを得ない成り行きだった。
    
    ((もちろん食料生産力が人口を決める決定的な要素であることは間違い無いが、ここでは仮に食料の供給が充分にあった場合について考えている))
    とりまとめたのはこの集落に土地のある人たちの山の全て、一部に周辺集落の人たちの山も入り組んでいるのでそこも含めると、全部で140haという広大な面積が、私の預けられたかたちになった。
    
    現実的には、その地域で生活する人々の木材の使用量は地域の木材材供給能力に合わせるざるを得ない。
    かつての里山的な自家薪炭林は小規模自営が原則だった。全部まとめて誰かが面倒を見るなどということは、生活から薪炭や落枝落葉などの活用が失われ、木材の価値が限りなく下がってしまった結果でしかない。
    
    寒冷地で、森林の生産力が少ないところで生活するためには、燃料の消費を抑えるために、効率の良い竈を用い、最小限の木工生活用具で、断熱性が高い木材使用量の少ない住居で生活しなければならない。
    
    もちろん木材に替わる資源が利用できれば、生活の質はそれなりに維持できる。燃料に石炭や石油を、生活用具に金属を、住宅に石や土が使えれば良い。
    
    木材の代わりになる資源がじゅうぶんに得られなかった時代、森林資源は常に不足しがちであり、森林の劣化が課題になってきた。
    山村では年々の薪を採取する山を数カ所共有で確保する入会があったことがひろく知られている。ここの山も細かく所有が定められたのは明治時代以降のことで、それ以前の所有形態については、一部神社名義のものが租税免除であったことが伝わっているだけで、はっきりしない。
    
    ((森林の劣化は土壌の劣化を招き、食料生産力の低下に直結する問題だが、ここでは触れない))
    土地の区画は細かく、所有地は驚くほど分散している。本家と分家の土地が隣り合っていることから、分家や相続のたびに土地が細分化されていったことも伺える。
    
    自家薪炭利用から小規模な商業的な炭焼きの段階までなら、このような小規模分散所有もむしろ利点が多い。山間地では地形や地質、日当たりや水はけなどの条件が、著しく異なるから、いろんな条件の土地をあちことに持っているほうが、資産としての多様性を保ち、リスクの分散になる。
    
    一定の人口バランスが維持されている環境では、利用可能の森林が常に維持されていなければならない。
    小規模の地割はほぼ自家労働で賄える最適規模だったのかもしれない。
    
    山村では年々の薪を採取する山を数カ所共有で確保する入会があったことが知られている。その後入会地が個人所有に分割されても、多くの家が複数ヶ所に小面積の森林を所有し、毎年一定量を循環的に伐採しながら利用してきたらしい。((民俗学的な研究の成果があるに違い無いが調べている時間は無いので省略))
    面積の8割が天然生広葉樹林。人工林はさらに細かく分散している。
    植林木のいちばん古いものでも60年を超えるのは神社のまわりだけなので、そもそも人工林造成による林業が行われたことは一度も無かったと言える。
    
    小規模分散型の森林所有のかたちが出来上がっていた昭和の戦後時代、化石燃料とくに石油とプロパンガスの普及により燃料量材の利用が減っていき、かわり土木用や建築用の木材を生産する目的で、針葉樹の人工林が造成された。それ以前からあった入会林にも自給的な用材林としての利用はあったし、小規模分散の自己所有林でも最初は自給目的の針葉樹が育てられていた。しかし燃料としての木材用途が減少した後には、小規模ながらも売ることを目的にした人口林造成が行われるようになった。
    [CR]
    伝統的な林業地でないところでは、多くの場合、植林から保育初期までは自家労働でまかなっていても、利用間伐や主伐という段階になると、作業そのものが専門技術が必要になってくるので、いわゆる自伐林業をやりきれる人は多くは無い。
    [CR]
    自家薪炭利用から小規模な商業的な炭焼きの段階までなら、ほぼ自己労働で賄えた山仕事だが、拡大造林期に行われたような大規模伐採になると、専門の素材生産業者の活躍が中心になってくる。
    [CR]
    [CR]
    [CR]
    農業経営と林業経営を並列的に考えることはできない。
    だからと言って、伐出をすべて専門業者にまかせるべきかといえばそうでもない。
    伐出作業そのものは専門技術が必要な面も多いが、作業を企画し指示管理するくらいのことは本来所有者自らが実施可能なはずだ。
    自分の財産の取り扱いについて、まったく他人まかせというのはいかがなものか。
    
    
    -自伐林業のすすめと現実
    -担い手はどこに
    
    *事業体林業と森林組合
    -森林所有者の共同体
    -地域社会での役割
    -計画と実行を分けるべきか
    
    *所有と経営
    

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