バックアップ表示1 (2016-01-19(火) 08:11:48) #freeze 何故伐った。荒山雅行さんに厳しく言われた言葉だ。 たとえ10年生に満たない、藪であっても、これから300年生きたかもしれない、そんな存在を伐ること。 それには理由がなければならない。 邪魔だから、というのも一つの正当な理由だ。 林業現場だけでなく、あらゆる生活の場面で、支障になる木というものは必ず出てくる。 何かをするために邪魔になる木を伐る。その何かはその木を伐るに値するかが問われる。 砂防堰堤の工事のために木を伐った。 150年生の天然生ヒノキをはじめ、70年生程度のオオバボダイジュ、キハダ、ミズメ、この山では普通なら絶対に伐採対象にはならないような木ばかり。 その砂防堰堤は本当に必要なのか、役に立つのか。 専門的な見解はともかく、妥当性が本当にあるのか疑わしい。 木を伐ることの理由として、もっとも妥当なものは、使うためという理由だ。 薪のため、道具をつくるため、家を建てるため、材料として木が必要だ。 もちろん、その道具や家が、その木を使うに相応しいかという問題はあるけれど、 人間が木を使うという事は、人間と森林の樹木とのやりとりの歴史のなかで、それなりの合意をもって認められてきたことだ。 木を伐って使う事と、森林を破壊する事とは違う。 あらゆる生き物がそうであるように、木もまたいずれは他の生き物のために使われるものとして存在してきた。 人は木を使う、やがて土に還る。そうした循環の中にある森林にあって樹木と人はお互いにかかわりあって生きて来たのだ。 使うことのなかには、伐る当人が使うのでは無く、誰かが使うためという事も含まれる。 使う人のために木を伐る。これもまた正当な理由だ。 その人がどのようにその木を扱うのかという事が、ここでは問われる。 使う人に木を渡す対価として、金銭を受け取ることもある。貨幣経済の社会だからそれ自体はまっとうな事であり、正当に扱われるのであれば、金銭を媒介に、木を売るということも認めて良い。 だれがどのように使うかわからないけれど、買ってくれる者があるから、木を伐る。 現代の社会では金銭を得ることは生活の糧を得ることと同義になっている。 だから、売るために木を伐るという事を否定することはできない。 だれだかわからないが買う人、その人からさらに買う人々が、いずれ正当に木を使うであろうということを想定して、生活のために木を伐る。 森林を破壊しない程度であれば、それも認めざるを得ない。 自分と自分の知り合いだけでは使い切れないほどの木を生み出す森林を持っていて、その森林を維持して行く役割を果たしているのなら、売るために木を育て伐って売るという、いわゆる林業も認めよう。 認められない伐採があるとしたら 目的のはっきりしない伐採だ。 なぜ伐るのか、答えられない、伐ることにしか目的が無いような伐採。 使うのでも売るのでもない、ただ伐ることで対価を得るために行われる伐採。 こんな悲しい伐採は無い。 あらためて言おう 正当な目的があるのなら木を伐ることは許される。 目的がはっきりしない伐採はタダの殺生だ。
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