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2 (2016-03-06(日) 00:07:05)
#freeze
エンゲルスのように「起原」を問いたいのではない

なぜ、人は、神でないものを信仰するのかという事を、確認したいだけだ。

自分自身について意識する者は、自分に親やきょうだいがいて、それに連なる人々がいて、家族があるということを、あたりまえの自然として認識する。

そのあたりまえの在り方には、決まりなど無い。

その在り方に一定の決めごとがうまれ、自分自身の存在を規定する
絶対的な在り方とみなされるようになり、ついには人間の存在の根本的な枠組みとさえみなされるようになる。

こうして、あるカタチの家族というカタチが、人間お在り方を規定するようになる

私有財産は家族にとっての財産となり

このような家族が依って立つむらという共同体がうまれ

そうした人々や共同体がいつしか国家をその存立基板にしていく

このような認識方法を通じて、現代の社会を理解しなおし

いまや我々日本社会が直面している、人口減少にむかいながらの「民族」の滅亡という課題について考察をするめる、手がかり(足がかり)としたい。


[[聖家族]]信仰と世俗家族信仰

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