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1 (2019-02-06(水) 00:14:35)
#freeze
クラシック音楽のなかでも、最も知られた歴史的名曲であり、多くの論考や感想がネット上にあふれているこの作品。このwikiで扱うには、あまりふさわしくないと思う。

最近[[久石譲のベートーヴェン]]というページが検索でヒットするようになっている事に気がついた。

それならば、ベートーヴェンの交響曲についても、第9番から、それも最近手に入れたばかりの久石譲のCDから書いてみることにする。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07LF9WSZT/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_QqzwCbSSWDH12
Amazonのレビューに書くというのは私の流儀ではない。

この録音をライヴで聴いていたわけだが、あらためてCDとして整えられた状態で聴くと、ライヴとは違った印象を持つようになる。

-最初から最後まで歓喜のシンフォニー
一般に「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」という有名なベートーヴェンの言葉が、この一曲に集約されていると信じられている。しかし、久石の演奏は最初から歓喜に溢れている。
演奏の伝統や伝えられている情報を一切切り捨てて、譜面をゼロから読み直すというアプローチで一貫している久石のベートーヴェン全曲集、この曲も例外ではない。

第一楽章の冒頭の混沌の描写とされてきた部分は、楽器の掛け合いを楽しむ、演奏の序章のような響きの楽しみとして再現されている。一楽章全体は、これから始まる祝宴の序曲のような軽快さで、あえてストーリー性を求めず、ただ音の響きを楽しみながら、アンサンブルの腕試しで終わる。
第二楽章は、ダンスパーティー。完全に縦ノリのビートで弾けるような演奏だ。全体として弦を抑えめに木管楽器の名人芸的な構造を際立たせる。
第三楽章も、弦を朗々と歌わせて緩徐楽章ではなく、あくまで管楽器のアンサブル重視。もともと少ない弦をさらに抑えて、低弦のビチカートが印象的な演奏。
第四楽章に至って、ようやく歓喜の歌として全開のフィナーレを向かえる。

物語性に乏しいという批判もあり得る演奏だが、全体を通して音楽する喜びを表現したパーティーのような爽快な演奏になっている。

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この歴史的名曲についての様々な論考や、各種楽譜、解釈をめぐる論争についてはここでは扱わない。
この音楽が示す世界の可能性について、もう少し時間をかけて記述を進めたい。








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