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#freeze *&date(Y-n-j[lL],2016/6/7); 毎年この時期になると悩ましい問題がある。 あえて問題をあきらかにしつつ、なかなか変えることはできない。 企業山仕事創造舎の代表理事という役割の難しさ。 本来は労働者の協業体である事を目指しつつ、現実の日本社会において通用する、法人形態と事業主の立場。 自分自身の社会的な在り方と組織内での在り方に矛盾を抱え、さらに組織内においても責任者と奉仕者という二重性を求められる。 組合は一人一票、全員が経営者であるという原則を踏まえたうえで、組合員の労働者性を可能な限り確保し、唯一人の経営責任者としての立場をとる。 経営は最大公約数では進まない。誰かが決断し責任を引き受ける。しかし民主的に皆で決めたことにする。 現実の責任と権限は分散できないが、すべては民主主義的なルールのもとで分かち合う。それでもなお、共同人格幻想のなかに個々を解消させてはいけない。 素朴に君主に奉仕する職人集団であれば幸せなのかもしれない。会社はシンプルで良いけれど、組合は組合員の共有財産なので、いまさら会社にはできない。 社会を変革するモデルになる自覚(とゆうか気負い)はまだ萎えてはいないけれど、いつまでもこのままでは持たない。 というわけで、今年はじめて私自身の現実的な任期を宣言した。 ---- 経営者は使用人であってはならない。 つまり経営者は労働者ではない。 しかし、協働労働の協同組合を理念的に推し進めると、経営と労働は等価になり、企業の全ては労働者となり、経営は経営者とともに不可視になってしまう。 そして、不可視であっても実際には経営という行為は存在する。 疎外された労働は全人的な生活的営為になるかもしれないが、その結果は生活の全てが時間で評価される切り刻まれた人格の集合になる。 管理だけではなく変化する環境に合わせた意思を持った営みがなければ、創造的な仕事の創出などはできない。 与えられた労働、例えばビルのメンテナンスとか公共施設の管理のような仕事であれば、労働者の自主管理による平等な労働と配分による、純粋に素朴な民主的経営も可能かもしれない。 しかし、世界と対峙しつつ変化を生み出し続けるような、仕事を創造してゆく場にあっては、むしろ、すべては経営でなければならない。 労働者性を最大限発揮して法的な保護を受けつつ、民主的で平等な意思決定の仕組みと、独立して社会に対峙する法人企業としての存在感を両立する。 たまたま、公共事業的な要素の極めて強い、間伐林業という世界だったから、与えられた仕組みのなかで、労働者の共同体による協働労働の仕組みが機能したという側面もあるのではないか。
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Last-modified: 2016-06-08(水) 23:19:32