公共的事業の精神構造
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#freeze 公共的事業には失敗が無い。評価は原則として高い事業ばかり。反省が無い。 公共的事業は計画が第一だ。立派な計画でなければ、税金を投じる価値が無い。 しかし結果には誰も責任をとらない。 皆、まじめで誠実で、一生懸命仕事をする。 法律や制度に則って仕事をする。 それがいちばん大切な事だ。 結果よりも過程が、過程を証明できる文書が重要。 正しい過程を通じて行われた事業はそれだけで充分なのだ。 説明責任が常に求められる。 だから、常に立派な業績であるように、演出しなければならない。 計画、実施、実績報告、検査、すべては、特別に優れている必要は無いが、法と制度に即して確実に行われる。 そういう事になっているし、そういう事として評価される。 極端な話、実際には何も変化をもたらさないような、やってもやらなくても良いような事業であっても、整っていれば実施される。 論理的な整合性がいちばん重要なのだ。 もちろん論理は科学だ。 必要に応じて科学は論理を補填する、口実になる。 立派な計画が正規に承認されたのだから、修正はなるべくしない。 まして中止などありえない。 そんな精神の中で私も仕事をしてきた 現場はともかく、経営管理の立場では 海外協力の上総掘りも、補助金林業の山仕事も、 同じ構造に支えられてきたのだ。
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Last-modified: 2015-02-24(火) 13:03:34