2016-4-7[木]

今回の仕事が難渋したのには、私自身のいわゆる「現場主義」の問題がある。

内容は林業というよりは樹林地管理、広大な別荘地の樹木管理の企画書、いわゆるアーボリカルチャー的世界だ。
もともと現場と組んでつくる企画書だった。だが、現場が忙しくていっしょに動いたのは半日だけ。

お客さんにとって重要なのは、いわゆる技術のことではない、何を目指してどのような道筋でどのような結果が得られるか。
しかも長期計画なので設計図ではなく設計方針の提案というかたちになった。

自分が現場作業をやらない事について、計画づくりをする事には慣れてきたが、あえて現場の意見を取り入れないでの計画づくりには、いささか抵抗がある。この手の案件は顧客の明確な意見があるわけではないから、相手の気持ちを思いながら、積極的な提案にしなければならない。

もちろん、現場は決められた通りの作業をすればいいのだ。ただこちらからの提案の場合、現場的な視点をどうしても入れたくなる。
だが、現場の視点とはなんだろうか。単に仕事がやりやすいからという事になってしまっていないか。

山仕事創造舎を立ち上げる前の3ヶ月、私は独りで木登りをしながら木を伐る、いわゆる「空師」の仕事をやっていた。独りでできる仕事として、いまでも新規参入が多い特殊伐採とよばれる仕事だ。
だが始めから問題は木の登り方でも伐り方でも無い、どのような仕事をデザインし木を活かすかということなのだ、という認識があった。
そうした事を、実際に木に登り木を伐る人間が考えることに意味があると考えていた。

木登りをロープワーク系に転換し、空師からアーボリストへ道筋を示して、私は現場を降りたけれど、結果として現場では特殊伐採しかやっていない。しかも根伐りが多いからほとんどがクレーン伐採、アーボリカルチャーとは遠い世界だ。現場からはそういう高等な事は目指せないという声も聴く。

現場主義はいつも間違えのない正論だ。だが、正論なだけに問題なのだ。

これからは「現場を分かってない」と現場に非難されるような設計者も必要だ。

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