出来ること

結局のところ、私は好きなことしか出来ない人間なのだ。

しかも、自分のためにならないことはやらない。

自分のためではなく、誰かのために何かをするというような奉仕の精神は、本質的にあまり無い。

誰かのためにしている事があるとしたら、それはその人が私にとって他人ではない関係になっているからに他ならない。

個人的感情を別にして、公的な価値を重視して行動するというのが、社会運動にかかわるときのひとつの原則なのだが、結局私の場合、社会的とか政治的とかの判断だけで、行動しようとしても、うまくできたためしがない。

だから本質的に、私は社会運動や政治運動に向いていないと思う。

気分や感情に流されやすく、直感に頼り、判断に固執しない。

決めたことでも、違うと感じたら、いつでも止める。

世のため人のための自己犠牲や、個人的生活を犠牲にした努力ができない。

そういう性質を持っているにもかかわらず、きわめてしばしば、情にほだされて社会運動にかかわり、多くの失敗を重ねてきたような気がする。

超マクロと超ミクロな視野しかなく、常識的な行動範疇で安定性に欠けている。たとえば工程管理とか、スケジュール調整とかをしても、割込情報に引きずられてすぐ逸脱してしまうのだ。

しかし、社会運動や政治にかかわることは、向いている人間だけがやればいいというモノではない。むしろ、非政治的な、あるいは運動的センスの無い人間もかかわれるものでなければ、社会をよくしたり、制度つくったりということに、意味はないのだから。

私は、あきらめないけれど、やり方は工夫しなければならない。

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