重心

身体の重心が定まらないとふらふらしてしまうように。精神的な重心というものもあって、やはりふらついてしまう。

私のように、精神と身体が未分化な人間の場合、体調が悪いということはすなわち精神的不安定を伴うわけ。

たとえば最近のように肺の機能が低下して酸素が足りないと感じるときには、脳の状態にも直結しているらしく、あきらかに鬱になってくる。

そもそも感情と理性というものを対立して考えることができないので、理論も情緒にながされるし、感情も論理的だったりする。

私にとってもっとも重要な思索的課題に、論理の問題がある。

全てのモノゴトは論理的であるはずだが、論理学は論理的ではない。

これは言葉遊びではなく、私が昔から問題にしているパラドックスなのだ。

言い換えれば、君は何にもわかっていないということだ。

世界に法則というものはあるはずだが、我々は法則を理解できない。

我々が法則と思っているものは、単なる思いこみの類でしかない。

でも、私は、相対主義者ではない。

「なるようになれ」とは決して言わない

だが「なるようになる」とは思っている。

まだわずかに重心が定まっていないので、この問題はまたあとで考える。

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