2016-07-02

政治や社会がどうであっても、自分の生き方は自分で決める。
自分の暮らしがうまく行かなくても、社会の仕組みのせいにすべきではない。
いまでは、そんな考えの人も少なくないような気がする。
だが、自分ひとりで決めてできる事など実はほとんど無いに等しい。
社会から完全に離れた個人など幻想でしかない。

社会の決まりとか法律とか、難しいこと、めんどうな事は誰かが決めてくれればそれで良い。
そう考える人はものすごく多いような気がする。
私も、社会生活のあらゆる決まり事をいちいち自分で決めなければならないとしたら、耐えられないだろう。

社会生活の全ての場面で、いちいち話し合ってモノゴトを決める。それではあまりにも大変だから、あらかじめ決まりをつくることにした。それが法律だ。

人間一人ひとりがそれぞれの考えを持ち、言葉を持っている。
社会的な判断するとき、誰かの声に従うのではなく、皆で言葉を交わし話し合おうというのが、民主主義というやり方だ。

社会の決まりをつくる仕事を専門にやる人を政治家という。

では誰が政治家になるか。

大昔は王様が、占いや、賢者の智慧を頼って政治をやっていた。

それではあまりにも不安定で、不公平で、やってられないということで

社会を構成する皆で政治家を選ぶことにしたのが、民主主義であり、選挙というやり方だ。

はじめは全ての人が社会人(=市民)とは見做されなかった

政治家と政治学者や法律家は役割が違う。評論家やジャーナリストとも違う。

話し合って社会的なモノゴトを決める担当者として、人々が選んだのが政治家だ。

人々と話し合いを続け、人々の信頼を得続けることができるならば、専門的な知識や経験が無くても良い。

決まりをつくるために情報を集めたり、決めた事を実行したり決まりを守らせたりするのは、それぞれ専門的な知識や技術が必要な事もある。

政治はそれらの専門職によって支えられる必要があるけれど、政治家に必要なのは人々の考え方を知り、意見を交わし、最後には自分の責任で自分の意思でモノゴトを決めるということだ。

そんな政治家を選ぶ仕組みが選挙だ。

大衆的な政治行動をポピュリズムと言って批判する人は。
自分は大衆とは違うエリートだとでも思っているのだろうか。

民主主義というのは大勢の普通の人々の意思をもって
国家・社会の道筋を決めようということだ。
賢者や王侯貴族が正しい決定を下してくれることを待つのではない。

大衆の意思は常に正しいとは限らないが、賢者の書いた「智慧の書」などというものは、どこを探しても見つかるものではない。

現代の日本は民主主義という政治制度を採用し、選挙という仕組みがある。

当面、民主主義の他になにか良い代案があるとは思えない。

選挙で投票するということは、現代の日本では最も現実的で妥当な社会的行動だ。

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