整理統合できるか 2004-10-18

数えてみた。私がかかわっているwebsite。

http://ainochikara.com/ ここ。極私的思考錯誤中間素材公開中 

http://yasakamura.net/ xoopsで構築しつつある「やさかむら」コミュニティーサイト。最近いちばん力を入れてる。でも実態は個人のブログにとどまっているのだぁ!

http://yamashigoto.com/ 本業の公式サイト。営業効果は無いが「看板」として。HTML手書き!サーバ移転作業開始。業務用サーバとして利用を研究中。

http://komistar.org/ 小湊美和ファンサイト的Wiki ainochikara.comから分離独立。

http://morizukuri.net/ xoopsで構築作業中、森林と林業の情報交換サイト。もうすぐ公開できるかな。

http://marikayama.com/ こちらも試験運用中

http://homepage2.nifty.com/yuni/ 私が最初に公開したモノ、今はインデックス機能のみに。HTMLの練習をした痕跡。

http://homepage2.nifty.com/yuni/ysktnd/ 「八坂の棚田を大切にする会」更新してない。TVの取材でホームページがあるってことになってしまっtのであわててつくったサイト、田んぼ日記とか書いてたことも。

まだまだ拡散していく傾向ばかり。

ADHDだとは言わないが 2004-10-06 23:21:22

私は自分がADHD(注意欠陥多動性障害)だと言うつもりはありません。

「障害」というのは医学的な診断であって、私自身が勝手に決めることではないし、現に私自身は(周囲はどうなのか?)生活に多大な困難があるということでもないわけで、いますぐに診察を受けなければならないとは思っていません。

この障害は、主に子どもの問題として知られています。子どもの問題と言っても、子ども本人というよりは親や学校にとっての問題という側面が大きいような気もしますが。いわゆる学習障害というかたちで問題になることが多いようです。

悩の機能障害が原因とされるので、もちろん大人になっても治るわけではなく、多くの人が苦労しながら社会に適応しようとして生活しているのです。

私自身を理解するのに、私としてはかなり参考になっているので、ちょっと研究しているのですが、少なくとも私はこのような傾向があるような気がするし、いよいよ追いつめられれば「障害」として診断してもらう必要を感じて、精神科医に相談するようなこともあるかもしれません。

またADHDという障害はそんなにめずらしいモノではなく、未診断の成人はかなりいるとも言われているのですが、人間を理解するのにこうした障害ないしはその傾向というものについて知っていると、自己や他人を安易に否定したり非難したりすることなく接することができるような気がしています。
同じようなことが、自閉症スペクトル障害(自閉症~高機能自閉症~アスペルガー症候群etc..)と呼ばれる、多様なあり方の人たちにも言えます。

いずれも、誰から見ても明らかな「障害」として現れている人もいれば、まわりからも本人もほとんど気がつかないような場合もあり、ただ社会的な困難を抱える度合いが大きければ、まちがいなく障害として本人も周囲も理解することで、いくらかでも生きやすくなるものなのです。

私自身について言えば、他にもまだまだ問題視している障害ないしはその傾向というべきものがあるのですが、あんまりこんな所で宣伝しても仕方ないので、こちらは私的に地道に研究を続けることにします。



注意欠陥多動傾向についての研究 2004-10-04 00:07:51

その3ではない。

私の管理して(しきれていない)いるウェブサイトはいくつあるか知っているだろうか?

私自身だってちょっと指を折ってみないと数え切れない!

何か新しい企画を思いつくとすぐにドメインと取得してしまう。

これってネット方面における衝動性がかなり強いといえなくもない。

そのくせ世界はちっとも広がっていない。

ほとんどがモノローグ(独白)の世界なのだから。

でも明示的に(わざと穴はあけてあるが)コミュニケーションをしないようにしているサイトはここだけである。

一見社交的で人としゃべるのが好きなように見えるが、本当は心底コミュニケーションは苦手なのだ。

すべてにおいて自分が自分に課した役割を演じているような意識があって、その意味では社交家にもなれるし、ボケでもツッコミでもやれないことはない。

でも、すでにばれていることだから隠さないけれど、不注意だし、忘れっぽいし、何事についても整理整頓がなっていない。

計画はいくらでも創れるが、実行できること、というよりも完成できることは少ない。

ただ気分屋なくせに「しつこさ」もあるおかげで、なんとかやってこれている。

事例1

昨日は夕方までかかって稲刈りが終わらなかった。
最大の原因は、出穂後に雑草管理をしなかったこと。一部に土づくりがなってなくて
全然分けつしなかった部分もあったが、そこなんて稲の穂は立派だがそれ以上に雑草
が多い状態。とてもバインダーで刈り取ることができない。で、手刈りになってしまっ   
た。

鶏糞を春に撒くのは良くないことは何年も前から経験済みなのだが、今年も間に合わ
ない、仕方なく量を減らし気味にして、荒おこしをしてからしろかきまでの時間を長
くとることにした、おかげで田植えの時期が遅れて、苗がくたびれすぎて活着が遅れ
る、でも、暑い夏のおかげで平均的には豊作だった。だが土壌の状態が非常に悪い部
分では窒素欠乏を起こしてしまって分けつせず出穂後に雑草が生い茂ってしまったわ
けだ。

バインダーの整備ができてなくて、はじめのうち結束がうまくいかなかった。油をさ
せばいいのはわかっているのだが、油差しを持っていない。いや以前には持っていた
が無くしてしまった。それで仕方なく、たまたま置き忘れてあったエンジンオイルを
鎌の刃に沿わせて注油口に注いで使ってみた。これも去年からわかっている問題だっ
たが、ぎりぎりまで放置していた。

去年は脱穀が夕方遅くまでかかってしまったので、ハゼの片づけができず、その後別
なことばかりで忙しくしていたら、雪が積もってしまって田んぼに入れなくなり、春
までそのままになってしまった。春、田おこしのときにあわてて片づけたが、きちん
としまうゆとりがなく、草むらの中に放置しておいた。これで2年連続。ついにほと
んどのハゼ足が腐って使えなくなってしまった。

たぶんそうだろうとわかってはいたが、新しいハゼ足を用意することもなく、稲刈り
の日を迎えてしまい、終わってみれば、刈り取った稲を干すところが間に合わないで
はないか。もちろんこれから間に合うのは竹しかない。家のまわりは竹林だからなん
とか なることはなるのだが。で明日は朝から雨が降っても竹を切ってハゼ足つくり
からはじめる。

もしも明日晴れならば仕事に行かなくてはならない。予報はともかく予想ではあと
3日は雨が続く。刈った稲を畦にそのまま放置して置くには3日はながすぎる。
今日は雨だったので、稲刈りの続きはせずに、稲の束を大量に集めて穂を上にして
田んぼの中に立て縄で縛って置いた、以前TVでみたどこかの棚田ではこうして仮
に干してから運びだしあらためてハゼ掛けをしていたのを思い出してやってみたわけ。

上の田んぼは排水ができてないので、ほとんど田植えができるくらいにグチャグチ
ャになっている、このままだと半分が手刈りになる。もちろんこっちのハゼも用意
しないとならない。雨があと2日続いてから3日晴れれば仕事に行き、その後は村
民運動会などがあって稲刈りはさらに遅れてしまう。

それにしても、あまり雨が続くと今週の計画はめちゃくちゃになってしまう。
あまりに余裕のないギリギリのスケジュール・・・・

とまぁ、うんざりするような話しだが、これが今の私の日々。

体力と気力としつこさで、なんとか乗り切る、コーヒーとかチョコレートとかがあればたぶんやってしまう。とりあえず鬱になってる余裕が無いというのが幸いかナ。

その2 2004-09-30 22:00:11

世界をひろげること

つまり窮屈で退屈だから、いらいらしたり不安になったり、楽しくない日々になってしまうのだから、自分の場所を広げて新しい物事をたくさん取り入れていくということ。

通り道に石があっても、道をもっと広げてみたり、ほかの通り方を見つけたりすれば、じゃまな石だって、面白いものに見えてくることもあるわけで。

寒いときには、ファンヒーターじゃなくて、薪に火をつけて炎を見つめていれば別の世界が見えてきて、こんなに暖かい火が嬉しいなんて、むしろ寒さがありがたいことにさえなってくるわけです。

逃避とか責任転嫁ではなくて、課題の設定が変わってくる、物事の中心軸がうごいていく、つまり世界が新しく創造されていくというようなこと。

それは、ほとんどの場合、いわゆる生産的なことではない、もっと生活とは関係のない、でも具体的なことに向かうことのような気がしているのです。

広い意味では遊び。別な意味では創作。場合によっては・・・・

まぁ難しいことではないんだが、これがなかなか、

私の場合、長いあいだ「その1」の問題解決型のアプローチばっかりしてきたような気がしています。でも、本質的に怒りの感情が欠如しているタイプなので、問題自体の設定が弱い。なんとなく根が浅い。で結局、社会運動的なものから離れて行ってしまった。でも、今でもなんとなくそこから落ちこぼれているような感覚がまだあります。

「問題意識」とか言われると弱いです。できるかどうかはともかく「意識化」ということはやっぱり考えてしまう。事実の「対象化」からはじまって、問題を弁証法的に先鋭化していくというプロセスには「サヨク」の片隅にいた頃、私に刷り込まれたものです。

その1 2004-09-22 22:24:40

問題をとりのぞこうとすること。

足下に石が転がっていて歩きにくいとしたら、その石をまたいで行くということでもとりあえずは先へ進めます。でも毎日歩く道だったら、やっぱりその石をどかした方が良いと思うでしょう。

寒いときは、厚着をするか、暖房を入れるか、誰かと抱き合うか、猫をひろうか、それとも・・・我慢するか。寒さそのものはどうしようもないことですが、ボーッとしていたら凍えてしまいます。

誰かに文句を言うということもストレス解消になるかもしれませんが、きっと新しいストレスを生み出すだけです。

黙っていてもどうにもならないけれど、今日は黙って見過ごして、明日もういちど考えるというのもアリでしょうが、いまじゃなければ間に合わないってことも。

誰かに手伝ってもらうというのは、この場合も当然の選択肢でも、自分も何かやらないと、それは取り除けないでしょう。

この項またいつか続く、とりあえず明日はその2へ

暑さ寒さも 2004-09-21 22:00:46

もうお彼岸なのです。でも暑さ終わりそうもないですね。夜はさすがに涼しいですが、昼間は半袖で過ごせる気温です。これはちょっとオカシイと言えるのでは。

もちろん仕事がらこの暑さの中でも長袖です。それで夏場と変わらないくらい大汗かきます。水筒のお茶だけでは足りないので、仕事帰りに水分とカロリー補給のために、つい自販機でスポーツドリンクを買って飲むことも。

節約しなくちゃと一応考えて、某ホームセンターに立ち寄って100円自販機で買ってみたのだが、やっぱり無駄使いかも。

そして、買い物もしないで家に帰ってから気がついた。今晩のおかずの材料がギリギリ、明日のお弁当のおかずが・・うーん知恵を絞るしかない。

自分のこと自分の家族のこと自分の仕事のこと。それを確実に穏やかにやっていくだけでも、月日は過ぎてしまう。それでいいのだ。それだけで・・

でも納得はしていない。この暮らしを楽しくするために、安全で安心できるために、夢を持ち続けるためにも、生産的でないこともやっぱりやっていきたい。

それには大きく分けて二種類のとりくみかたがあるように思えるのだが・・・・それは次回(次回予告してしまった!)

さあ仕事、仕事 2004-09-06 21:44:11

家計のやりくりを計算するまでもない、最近ちょっと仕事をサボりすぎて収入が減少しはじめている。

マジやばい。仕事がないわけではない。いくらでもやることはあるのだ。それも金にならないわけではない。やっただけの見返りはあることばかりだ。大儲けではないが。

要するに自己評価の問題に帰結するというのが、経営者兼労働者という立場。最近私はまた自己評価が低くなってきている。1時間を1時間とカウントできない。なにしろ結果が全然出てこないだけでなく、経過報告さえも満足にできないからだ。

まさか日報を書くことで日当をもらうようなわけには行かないので、結局途中経過はともかく実施状況を目に見えるかたちにしなければ、私としては評価できない。

事実、労働時間であるべき時間に労働とは言えないことばかりやっているのだから。この評価は正当だ。勤務評定という考え方をすれば、さらにマイナスでさえある。

日当を下げるべきかもしらない。

だが、ここからが問題。

ちゃんと仕事をしたいという気持ちはあるのだ。要するにその気持ちにカラダや脳がついていかないということだ。ならば、身体や悩を鍛え直すしかない。(もちろんいたわりの気持ちを持ってね)

yuni’s 有為記


秋刀魚 2004-08-30 00:34:21

ようやくサンマが安くなってきた。「今朝の広告で157円だったのが市況の変化で99円になりました。」なんて売場に書いてある。ともかく99円なら買いだ。見た感じも悪く無い。北海道から宮城沖にまで移動してきたか、もうすぐ銚子のが来ればいよいよ旬ってものだろう。

塩焼きというのは、かなり思い切って塩をふること。

大根おろし、辛くしたいなら先からおろす。(季節的にはまだ辛みが出てこないなぁ)

サンマに感動しているうちに、付け合わせの一品が間に合わなくなってしまった。

誰も文句は言わない、ケドちょっと不満な私である。

またひとつサイトが消えてる。こっちの人は住所も本名も知ってるし、実際に会ったこともあるので、その気になれば連絡できる。でも、ちょっと待ってみる。思うところあって消えたのならば、声をかけない方が良いこともあるから。一応心配してる旨べつの場所に書いておいた。

私だって、いつ消えるとも限らないが、自分から消えるつもりは無い。

私は自由を否定はしないが、結局私は自由ではない。

夕方人間 2004-08-26

最近私は午前中は気が散りやすくて、仕事の効率があがらず、昼すぎになってちょっと復活してきて、午後3時くらいから全開で動けるようになる。
いちばん調子が乗ってくるのは5時ころ。そろそろ仕事を仕舞う時間なのでもったいない。そのまま9時くらいまで続けられそうな気がする。
「朝型」でもなく「夜型」でもない「夕型」人間になっているのだ。

結局6時に子どもを迎えに行き、夕飯の支度をして食べて風呂に入って、子どもが寝るのが9時。なんだか一番仕事の能率が上がりそうな時間を家事にとられているような気がする。無意識に家事を嫌っているからではないと思う。昔受験生だったころも、だいたい午後3時からがピークだった。

9時をすぎてからまたパソコン相手の仕事などを再開するわけだが、ほとんど「仕事」にならないで、だいたい11時くらいには寝てしまう。朝は6時にちゃんと目が覚めるし、睡眠時間も充分だと思うのだが。

 2004-08-25 23:45:09

以前からネット上注目していた人が最近消息不明になっているらしい。
ネット上でのことだから、別の名前でどこかに出ているかもしれないし、リアルに消息不明なのか、あるいはもうこの世にはいないのか、直接会ったことが無いどころか、ネット上やメールでのやりとりさえもないのだから、私には一切わからない。
そのウェブサイトは更新されないままいまでも存在し続けていて、激しいメッセージを伝え続けている。

その人は私の事はまったく知らない。ただ私が一方的にネット上でその存在を知り、鋭い切れ味を持った知性と、ときに命がけとさえ思えるエネルギーにあふれた行動力に感服していただけだ。

私だけでない多くの人が、その人のしていることに支えられ、力をもらっている。私はその人が消息を絶ってしまったことをとても残念に思っているし、知り合いでもないにのに、深く悲しんでもいる。

その人がしてきたことは、とりあえずネット上では中断してしまった。あまりに多才だったその人がしてきた数多くのことのうちの一部は、仲間たちによって拾い出され、他の人たちによって続けられている。

その人がコンピュータネットワークなどという世界から解放されて、現実の世界で生き続けていることを切に願いたい。

ネットワーク上から消えることは、有る意味では「死」と同じである。
だが「現実世界」から消えることという意味でのいわゆる「死」だって、手で触れるという世界という意味でのネットワーク世界からの消滅にすぎない。

身体などというものが必要な世界から解放されても、身体のない世界で生き続ける・・。

そうなのだ、いわゆる「死」というのは身体的世界で消息不明になることでしかない。

だがそこには存在の階層(レイヤー)がある

ネット上というレイヤーで消えても、身体というレイヤーで存在していれば、いつかネットに復帰することは可能かもしれない。だが身体というレイヤーを去ってしまうと、もうその上のレイヤーには戻って来れない。

その意味で身体的世界はどうしようもなく不可避な世界だ。人はそこから逃れてはいけない。そこを越えられない。だから殺し合いは無意味を再生産するだけなのだ。

それを直感的に知っていたから、消息不明になってしまったその人は、最後まで人が殺し合うことを拒否し続けていたのだと思う。

私は、その人がやろうとしていた、人が人を信頼できること前提とした仕組みの実現にこそ、身体的世界においても、ネットワーク世界においても希望があると思って、リアルに生き続けていきたい。

企画計画の乱発とそれの実行 2004-08-11 06:22:05

もともと思いつくことは得意なほうだ。でどんどんいろんなアイディアが浮かんできて、それに押しまくられるようにいろんな事をはじめてしまう。

それがついに自分でも収拾がつかなくなって、ただただ身の回りが混乱してしまう。とくに紙の類がもうどうにもならないくらいに溜まって来て、ファイルに入れるにしても想像を絶するようなことになって、結局どうしても手に負えないことや、いますぐにやらなくてもいいこと、やっても大して意味のないことを少しずつ削って減らして行く。

良い企画だったけど途中で挫折しているものの数もまた多いが、良くも悪くもなくとにかく続けるしかないことも当然たくさんあるわけで、浮き沈みはあるもののそれをまた続けていく。継続は力と言われるようになることもあるが、無意味な継続は惰性でしかない。

そんなときに救われるのは、世界にはいろんな人がいるということだ。

何度も書いているが、仕事は私事だけではない。優先順位というものは当然あるし、今月の稼ぎのノルマというものもあるけれど、それでも自分がどうしてもやっておきたいと思ってしまったら、それも仕事としてまっとうにやらなければできなくなってしまう。

というわけで、昔から身内には迷惑をかけながら(と言っても偉人伝の人物に比べれば私はまだまだマトモ過ぎてどうしようもないのだが)やりたいことに突っ走って行く。

だが、決してそれは一番にやりたい事ではなかったりもする。それは結局いつも後回し。それこそが真の「私事」の類なんだが、趣味なんてもんではない。結局これなくしては私自身をまっとうすることにはならないのだから。

本当に大切なことは「ふと」はじめる。

パソコンに向かって 2004-07-28 00:22:13

今日もこんな時間にパソコンに向かっている。何をしているかと言えば、何をしているわけでもない。寝る前にちょっと書いておこうと思い立って、ようやくここにたどり着いているのだけど、それまで約1時間、phpの情報は無いかなとか、お天気は?とか、そういえばあのブログ・・とか、まぁいわゆるネットサーフィンというようなことをしていたわけなんだが、実はほとんどの時間を、自分のサイトの表示と動作のチェック(っていうか単になんとなくカチカチとメニューを一通り回ってるだけだったりする)をして過ごしていた。

雷でルータが壊れ3日間電話もネットも正常ではなかかった。携帯があるので、最低限のことはできたけれど、常時接続というわけではなかった。そして、環境が回復してしまうと、こうして無駄なトラフィックでリソースの浪費をしている。金がかからないというだけで、これも浪費には違いない。

私がインターネットで発信しているところでは、このwikiにしても、他のサイトにしても、イチバンアクセスしているのは、私自身だったりする。それって、かなりの無駄遣いだと思う。

管理するというほどのことでもない、もちろんhtmlを手書きしていたころに比べれば、とっても更新が楽になったから、しばしば書き込みをするし、システムとして未完成なモノばかりだから、構築作業も続けてはいる、でも実は動かして遊んでいるという要素もかなりあるのだ。

そんなことをインターネットに公開してどうするというのか?ふと疑問に思ったりもする。とりあえず、この有為記とやらは、あくまで文章のカタチで、言いたいことや思いついたことを、好き勝手に書いている日記だから、あまりシステムには凝らない。

今回のネット不通を通して思いついたのは、apatche,php,mysqlなどlinuxでのサーバ環境をローカルで実現し、一人遊びができるようにすることだ。こうすれば、xoopsサイトなんかも、やさかむら.netのように公開実験みたいなことでなく、しっかり自分のマシンでテストして完成したものを公開したければ公開に持っていくということができる。(そういう使い方が本来だろうが)

ひとりでいくつものウェブサイトを持っているくせに、コミュニケーションはあまり得意ではないらしい。

お庭で昼ご飯 2004-07-20 06:23:28

うちの子が突然外食がしたいと言う。「そんな贅沢な、急に言われてもこまるよ」なんて言ったら、「外食ってのは外で食べることなんだから・・庭でお昼を食べよう」と言い出した。なるほど、自分の意見を引っ込めるのではなく、うまい展開を考えたものだ。

それで、昨日のお昼は玄関先の花梨の木の下にある、ガラスのテーブルをきれいに拭いて、そこで食べたのだった。

あらためて見ても、素晴らしい景色である。それに比べて、我が家の外回りのヒドイ有様だ。生活感あふれると言えばそれまでだけど、特におしゃれな田舎暮らしを演出するまでもないが、あんまりじゃないか・・・・、こういうところで生まれ育ってしまったうちの子は、文句を言わないが、落ち着いて見回してみると・・やっぱり美しくない。

うーん、仕事なんてしてる場合じゃないかも・・・・、そうやって思いおこせば、本当に惨めな気持ちになってくる。計画はあった気もする、でもほとんど実現できていない。

そんなに美しい生活をできなくても良いが、庭先でお昼を食べて悲しい気持ちにならないくらいの暮らしにはしたいものだ。

仕事 2004-07-15 23:15:44

今朝田んぼに行ったら、隣の田んぼをやってるHさんが畦の草刈りをやりに来た、しかしほんの30分もやらないうちに戻ってきて「夏バテでダメだぁ」と言いながら帰ってしまった。

うちの田んぼも、しろかき後かなりたってから植えた一枚と水の抜けやすい1枚は雑草だらけだし、畦の草もそろそろ刈らないとヒドイ状態だった。それを見ているうちに、他人の山の手入れをしている暇があったら自分の田んぼをなんとかしたほうが良いんじゃないかと思いはじめた。それで山へ行くのをやめて今日は一日田んぼにいた。

仕事をサボって一日働いた。これも実は仕事には変わりない。でもつい自分の家のことや田畑のこと、家のまわりの木のことなどになると、仕事というよりも私事という感じがしてしまい、後回しにしているのだ。

確かに稼ぎにはならないけれど、我が家のまわりの景観を整えたり、自分の田畑を管理したり、自家用の薪をつくったり、いや掃除や洗濯、料理等々、いずれも私事ではあるけれど、同時に立派な仕事なのだ。

昼間から家の事をやっていると仕事をサボっているような気がしてしまうとしたら、それは勤め人的感覚にすっかり犯されていることになる。

仕事の価値はそれによって得られる対価としての稼ぎとは全く関係ない。例えば家のまわりの景観を整えたり、田畑を管理したりするということは、地域の環境を整備しているという意味で言えば、むしろ公務とさえ言えるのだ。

社会的な公の務めを果たすことなく、私的な稼ぎを優先させるなんてことは、共同体では許されない事だった。それが田舎の社会の規範だったし、田畑や山と共に生きる人間にとっての生きる基本だった。それはときに重労働であったけれど、決して苦役ではなく、むしろ誇りであり喜びだった。

家を守り、田畑を守り、山を活かすことなくして、こんな山の中の村で暮らすことに価値は無いのでは?他人様の山の手入れで金を稼ぐなんてことは、その次に考えればいいことなんじゃないか?

夏風邪 2004-07-13 23:25:13

北信地方の異常な暑さのせいか、あるいは慣れない冷房のおかげか、久々に風邪をひいてしまった。夏風邪ってやつは、治りがわるい。熱は下がっているのに何となく調子が悪い。でも昨日あたりから一応元気になったふりをしている。

風邪で外仕事ができないので、思い切って懸案だったサイトの全面更新を一気にやってみた。XOOPSというCMSを初導入。やさかむら.ネット

まだまだ手直しは必要だが「公開実験中」ということにした。~
あくまでコンテンツ重視、更新が楽ということで導入したのだから、デザインやオリジナルの機能とかにあまりこだわらないほうがイイ。

そういえばこのサイトもblog風にする予定だったような?

でも、まんまのPukiWikiでも結構悪くないような気がする。

これはあくまで素材集であって「作品」じゃないので、著作権も強く保護しようとは思っていない。いまのところ、WithXfceを誰かがいじってくれただけみたいだが。

これだけはヤメテホシイ  2004-07-07 00:04:12

ということがもしも一言だけ言えるとしたら。やっぱり「戦争」でしょう。

平和ボケと言いたい人は言えば良い。でも私は「お国のため」に人を殺しに出かけ、死んで「神様」にされるよりは、痴呆であれ阿呆であれ平和に長生きする方を選びます。

日本の事を大昔「倭」と書いていたのを「大和」とあらためたその心には、大いなる平和という意味があったに違いない、と、歴史学者でもなんでもない私は勝手に想像しています。

聖徳太子も「和をもって尊し」と仰っている。この和とは内輪のなれあいではなく世界の平和だと、太子講信徒でもなんでもない私は勝手に考えています。

「やまとごごろ」とは優しいこころだと、世界に誇りたい。

政府に国民を守る責任があるとしたならば、いかに戦争に巻き込まれないようにするかというのが第一の課題じゃないか。

まして積極的に戦争に出かけようなんてことは、それもどこかの国のイイナリになって、国民に(国会に)相談もしないで約束してしまうなんて。

国際政治のド素人だから思うのだけど、イラクで起きていることはどうみても「戦争」です。

戦争に行きたくない私は、選挙には行きます。

これ以上、日本の歴史を汚さないために。

東京へちょっとおでかけ・・ 2004-07-02 21:26:27

なんてことを気楽にできたのは昔のこと、車に乗ってちょっと近所まで行くついでに、そのまま高速とばしてなんてアホなことやってたこともあったんだが、今は無理。

明日は毎年恒例の同窓会とはちょっと違う昔からの仲間うちでの飲み会がある。数年ぶりに誘いが来たのだけど、結局行けない。

今朝、七夕の夜の素敵なライヴの案内メールが来たけれど、東京までのライヴ遠征はやはり別の機会のためにとっておかなくてはならない。

フットワークの軽さってのは私とは縁が無いなぁ。なにしろ「きこり」と「百姓」と「主夫」とくれば、もう根っこがはやして動かない覚悟でないとできません。

それでもなお「これだけは!」って事があれば、出かけますよ。たとえ東京日帰りでも。
去年はけっこう出かけました。今年も秋にはたぶん。

でもねぇ、今の季節の東京に行くのって、実際あまりやりたくない。

ほんの数年前まで、毎年7月のはじめには行ってたこともあったんだけど。

ところで明日は水路の修理。放置するとたいへんな事になりそうな気がするので。

課題 2004-06-30 00:14:39

直近の課題はなんと言ってもデスクまわりの片づけ。事務所兼書斎であるこのデスク自体も改良の余地があるけれど、なにしろいろんな書類が山積み状態。できるだけ紙に印刷しないで仕事をすることにしているけれど、外から来るのはほとんとが印刷物だし、人に見せるためにも印刷しなければならない。

関係者にひとりでもパソコンを使わない人がいると、結局全ては紙に印刷しないとならない。それにどうしてもコンピュータの画面というのは一覧性に欠けるというか、大量の文書をパラパラと要点だけ飛ばし読みしたり、最初と最後を読んでから、中を読み、途中で思い出して前にもどったりというようなことに向かない。
ある程度分量が多いと自分用にも結局印刷してしまうことがある。

PCの文書を一覧性が良い構造にするというのも課題のひとつだな。
ハイパーリンクではどうもうまくいかない。いまのところ比較的使いやすいのは、タブ化したマルチドキュメント。エクセルなどで使われるワークシートの形式。

タブブラウザを使ってhtml出力したデータベースを自在に扱えればいいのかな。

というわけでPC関連で言えばデータベースの再修得。

かつてdBaseのプログラミングからパソコンを始めた私なのだから、SQLなんて簡単に使いこなせていいはずなんだが。

MySQLを土台にしたコンテンツマネジメントシステム(CMS)のXOOPSというのがあって、これを本格的に導入したサイトを考えている。(これにはSQLについての知識は不要)

無題

タイトルに何も書かないと「無題」って表示する掲示板も多いけれど、ここではわざわざ書かないといけない。PukiWiki用のブログプラグインもあるけれど、なかなか導入してるゆとりがない。

最近パソコンで仕事ばかりしてたので「趣味」としてのパソコンいじりできてません。

でも個人的には最近はいい仕事をしてると思っている。もちろん不満だらけだけれど、それでもあんまり不安はない。やってない宿題もたくさんあるけれど、なんとかなるような気がしている。

本質的に脳天気なのだ。悩みを悩みつくすだけの気概がないとも言える。

あまり本質にせまりすぎない。でも小出しにはしていく。それはテクニックではなくて、ただの結果なんだけれど。結局、自分は芸術家ではないということだ。

自由になんでもやろうとしたら、とんでもないことになるかもしれない。他人から見ればいまでも充分にトンデモナイ奴なのに、まだ自分に遠慮して生きている。

どこか「いい子ぶる」というところが、この歳になっても抜けないのだ。

いまからでもヒトメイワクな生き方をできない訳ではないけれど、妙なところでバランス感覚を大切にしてしまう。

チョコレート 2004-06-09 00:22:42

昨日・今日は雨、しろかき直後のまだドロドロ田んぼさらに雨が降れば、とても筋を引くこともできず田植えは延期。明日、仕事をキャンセルして田植えをするつもりだったが、午前中は健康診断でだめだ。

人並み程度には健康に気を使ってはいるつもりだが、コーヒーとともに中毒症状に近いものにチョコレートがある。健康に良いという説もいろいろあったりもするけれど、やはり高カロリーなのが気になるところだ。

忙しいとき、落ち着かないとき、疲れているとき、その他特に理由が無くても、チョコレートは欠かせない。いや実は無くても平気なんだが(その点はコーヒーとは違う)ときどき(頻繁に)無性に食べたくなる。コートドール・タブレット ノアーデノアー なんてモノが、近所のスーパーで手に入ってしまうのだが、この2枚組の塊をついイッキ食べしてしまうことさえある。(この板チョコの原点のようなベルギー産のチョコレートは大変に美味であるだけでなく、分厚く重く手では割りにくいので、ついかじりついてしまうのだ。で、1枚でやめればいいのに、2枚目もいってしまったときには、さすがにちょっと後悔する。)

メーカさんにはできれば100kcalくらいに小分けしたパッケージで、販売してもらいたいものだ。(自分で分ければイイじゃないかと言われそうだが・・例えば睡眠薬はイッキ飲みできないように小分けで処方されるではないか)

昨日はちょっとお上品に森永のVenezuelaBitter?にしてみたのだが、これも車を運転しながら結局一箱食べてしまった。こんなのが気軽にスーパーで買えるってことがイケナイのではないか?なんて思いながら。

実は、フィリピンでカカオの果実を食べたことがある。果肉は白いクリーム状のものでちょっと甘いがそんなにおいしいものではない。だいたい種ばっかりで食べるところがあまりないのだ。もちろんチョコレートの原料になるのは種子の方だ。フィリピンは国際的産地ではないのだが、農家が庭先で穫ったカカオ豆を天日で干して煎って挽き、自家製のカカオタブレットにして町に売り行き小遣いを稼いでいる。だがこれでつくったチョコレートはまったく美味くはない。チョコレートづくりには高度な技術が要るのだ。

合法的な範囲でも酒やタバコというもっとイケナイものもあるので、コーヒーやチョコレートなどに溺れている程度ではまぁ安全なのかもしれないが、独特の刺激を脳が必要としているという状態は、やっぱりある種の依存症であることには変わりない。

明日はどうやら晴れるらしい。たぶんコーヒーは飲むがチョコはいらないと思う。

畦シート全廃 2004-06-06 19:40:49

昨日、田植えが終わっていない残りの田んぼの畦塗りを終えた。畦シートはついに全廃した。全て手作業による畦塗りにしたのだ。

畦塗りは確かに重労働だ。そこで畦シートという塩化ビニルのシートが開発され、いまでは田んぼの水漏れを防ぐための簡便な資材としてひろく普及している。ビニルシートは確かに水もれを防ぐ効果は抜群だ。それに畦ぬりに比べれば作業も楽だ。

最近ではトラクタのアタッチメントとして畦塗り機というものが出来ている。これなら座ったままで出来るので、もっと楽だ。しかし、私の田にはいわゆるトラクタは入れない。歩行式の耕耘機しか使えないような急斜面の小さな田んぼ、いわゆる棚田なのだ。いまや私の村の棚田の畦を守るのは畦シートばかりになっている。

畦シートを十年以上にわたって使っている周辺の田を見ると、畦が浸食されて低く細くなっていることが多い。実は私の田んぼがそうだった。土の畦はまったく役に立たず、塩ビの畦シートだけで田の水を支えているような田もある。

畦シートを使っていると、畦の水面より上に出ている部分はほとんど水気を含むことがない、それくらいによく水漏れを防ぐわけだ。でも乾燥するおかげで畦の土はヒビ割れだらけになるし、蛇やモグラの穴があっても水漏れしないので、こうした空隙もつい放置されてしまう。そうなると、雪解けや大雨あるいは畦シートの穴からの水もれなど、ちょっとまとまった水分が入るだけで、簡単に畦が崩れてしまうのだ。畦が崩れるということは棚田そのものが崩れるという事につながる重大事態になりかねない。

私はこの問題には数年前から気がついていたのだが、何しろ「畦塗り=重労働」というイメージがあって、つい簡単な畦シートに頼っていた。だが実は畦シート張りだって決して軽い作業ではない。畦の脇に鍬で溝を掘り、はいつくばってシートを張り、土をかけ、さらに水を入れてしろかきをするときに、シートがしっかり密着するように全体にわたって足で踏み固めなければならない。重粘土質の私の田の場合、シートを張る前に雨でも降ろうものなら、溝掘りだってかなりの重労働だ。

去年から私は本格的な手塗りの畦塗りを復活させはじめた。この仕事、やること自体は単純なことなのだが、教わるだけでは出来ない身体の使い方というのがある。それが去年の途中から不思議なことに身についてきたのだ。

それは、子どもの頃の記憶がよみがえったことにはじまる。我が家は農家ではなかったから、田んぼもやったことがなかったのだが、周辺は田んぼだらけだった。そして当然畦塗りも行われていた。幼い頃の私はそれをただ眺めていただけだった。ところが去年のあるとき畦塗り作業の音の記憶がよみがえってきたのだ。文字で書けばそれは「ペッタン、ペッタン、」というような感じなのだが、要はリズムとサウンドだ。あのリズムであの音がするように身体を使えば、ただ重労働と思っていた作業が、100m以上も休み無く続けられたのだ。

そこに良い道具が加わった。今年の春たまたま見つけた鍬が実にちょうど良い重さと角度だったのだ。これで私は、粘土と戦いながら溝を掘り、はいつくばって塩ビシートを張るというような奴隷的労働から、心と身体のバランスがとれる心地よいリズムにのって、棚田の吹き抜ける風を受けながら爽快な気分で働くことができるようになった。

確かに、労働強度としては軽い部類ではないけれど、畦を自らつくることによって、田んぼのダム機能の中核である畦づくり全てにおいて、自分の仕事としての責任をまっとうできるということも、畦シートでは味わえない醍醐味だ。

景観上畦塗をした方が美しいので畦シートをやめた棚田もあるらしい、それに畦シートという有毒ガスを発生するゴミの問題もある。だが私が畦シートをやめた最大の理由は畦塗りがしたいからだ。

普通の田んぼなら、いまの時代畦塗り機を使うべきだと思う。棚田用の超小型畦塗り機が開発されればそれを使いたい気もする。だが当分の間、私は畦塗りという誰にもわからない娯楽を手放さないだろう。

有為記

マイペース 2004-05-31 00:17:54

いまさら言うまでもないが、私はマイペースしかできない人間だ。今日、田植えをした。うちの村ではいちばん遅い。たんぼを始めた頃は5月の中旬の土日という、村内では遅い方とはいえ、まだ標準からはずれない時期だったのだが、年々遅くなって、とうとう五月末から6月はじめというところまで来た。一方でまわりの田植えはさらに早くなって、連休中に終えるのが普通になっている。

日本社会が、周囲との協調を基本とした社会になったのは、水田農耕社会だったからだという説があるが、それは昔田んぼの水路が整備されず上の田んぼから下の田んぼへと、水をかけ流す方式だった頃のこと、今ではほとんどの田んぼでは、それぞれ水路から水を取り入れ、排水も隣の田に流すということはない。私のつくっている田んぼの間では、当然上から下へのかけ流しにしているところもあるけれど、他の人の田から水をもらったり他人の田へ水を渡すというようなことは無いのだ。~

(「このような水路の構造を農業土木の言葉で「用排水分離」というらしいが、これは農村の社会構造を根本的に変えてしまうような大変革だったらしい。)

春先の水路整備は同じ水路の仲間で一緒にやらなければならないが、後はそれぞれのペースでやっている。だが私の田は水路のいちばんの末端なので、上でしろかきが終わってからの方が水が多くて都合がいい。実はマイペースと言っても、他人よりはやくやるということは不可能で、あくまでゆっくりあとでやることが許されるだけなのだ。

ここにマイペースという事のある種の本質が見えてくる。人より前に出ること、競争に勝つことなどは、マイペースとは呼ばれない、あくまで競争しないこと、あるいは後ろから遅れていくことを気にしないことこそがマイペースが可能である条件なのだ。

例えば音楽系アーティストが「マイペースな活動」をしていると表現される場合は、アルバムも数年に1回くらい、めったにシングルを出さないというようなイメージになるわけだ。

田植えだけでなく、人生全般にわたって、確かに私は他人よりもゆっくりやってきた方だ、でも時には他人よりも先に何かをやってしまうこともある、誰もやったことが無いことをやることだてある。ただし競争はしない。勝負をすれば勝てないから逃げているだけだ、と思われるかもしれない。どう思おうと勝手だが、本質的には勝ち負けには興味が無いのだ。

コーヒー 2004-05-27 00:20:02

知人からベトナム旅行のおみやげとしてもらったベトナムのコーヒーと専用のベトナム式抽出器を試してみた。不味かった・・・、がしかし、いろんなアイディアが浮かんできた。不味かった原因は、何よりもコーヒー自体が悪かったからだ。挽いた粉だったのだけど、シナモンの香り付きで、元の豆の品質はかなりものらしかった。これだけでベトナムコーヒーを評価してはいけないだろう。コーヒー専門店でなくたぶん土産物屋で買ったのだから仕方ない。

ベトナム式の抽出法はドリップ式というよりは原理的にはエスプレッソに近いものだ、ただしエスプレッソと違ってとっても時間がかかる。でもこれは決して悪くは無いやり方だ。なにしろ仕掛けが簡単なのだから。豆を選べばへたなコーヒーメーカーよりは良いコーヒーができそうだ。お湯を入れて放っておけばいいのだから、インスタントコーヒー並みの手軽さなのだ。

実は私はコーヒー中毒だ。紅茶や緑茶では効果が無いのでカフェイン中毒ではないと思う。かつて大学受験生という名目で暇を持て余していた頃、いろいろ研究したことがある。
普通の喫茶店はもちろんコーヒー専門店のコーヒーも決して美味いと思えるものは無かったし、自分で豆を買っていれたコーヒーも不味かったけれど、なぜか本来のコーヒーはもっと美味いものに違いないという思いこみがあったのだ。

金が無かったから、有名コーヒー店を飲み歩くなんてことはできなかったし、そのころは普通に手に入るコーヒーについての本にはあまり良いモノが無かったので、ただ自分の感覚だけに頼って、いろいろと試行錯誤を繰り返していた。もちろん自家焙煎、ネルドリップ抽出で。

数年後、ようやく自分的に納得のいくコーヒーがいれられるようになったけれど、コーヒー一杯にかける手間暇があまりに膨大だった。

初めてヨーロッパに旅したとき、スペインのバルセロナで駅のコーヒーショップで飲んだなにげないエスプレッソが、実に美味くて、それ以来コーヒーに凝るのはやめることにした。コーヒー中毒患者にとっては、簡単なコーヒーであることが結局いちばんなのだから。

ついにここ数年は、まさに薬物中毒のようにただ刺激物としてのコーヒーであればという状態になり、インスタントコーヒーをいつでも持ち歩く様になってしまった。もちろんインスタントコーヒーはマズイ。缶コーヒーはもっとマズイ。

今日たまたま試したベトナム式のコーヒーを飲みながら(それは確かに不味かったけれど)、私は久しぶりにコーヒーの美味さということを思い出した。そうだった、コーヒーってもっと良い物だったはずなのだ。

もちろんベトナムにも本当に質の良い豆はあるだろうし、ベトナム式ならではの美味いコーヒーの入れ方もあるに違いない、あるいは私流のアレンジでベトナム式を使えば・・・、もしかしたら私はインスタントコーヒーをやめられるかもしれない。

とりあえず基礎は身につけているのだから、中毒から脱して本来の喜びへ復帰する道はありえる。あるいはもう一度焙煎からやってみて、たまにはドリップで至高の味わいを堪能する瞬間だって不可能ではないのだ。もちろん昔の様に暇をもてあましているわけではないが、考えてみればそんなに時間はかけなくてもできる。例えばこのような無駄な書き込みを1日やめればいいのだ!!

私は珈琲店をやるわけではないのだから。あくまで自分が納得できればそれで良いんだし。

KIMONO MY HOUSE 2004-05-18 23:28:21

高校生の頃聴いていて、自分のバンドでもコピーしたことがある曲をなぜか突然聴きたくなって、amazon.comで注文して買ってしまった。

SPARKSという日本では当時あまり売れてなかったバンドの代表作。別にスパークスのファンだったわけではなく、他のアルバムも持ってない、いや当のアルバムだって買ったのははじめてで以前はカセットにコピーしたのを聴いていたのだった。

これからしばらく私の車に常備される予定。なんだかんだ言っても、ロックしかもちょっとひねったロックは私のやりたいと音楽の基本にあった。

自分は別にステージに立とうとは思わないけれど、脳内音楽はいつでも絶やすことができないので、やっぱりいろんな時代やいろんなジャンルの音楽を吸収しつつ、新しい世界に常にチャレンジし、いつかオリジナルな世界をつくれればなんて思っているのだ。

音楽系のことは別にコーナーをつくってなんて思っていたけれど、思い入れが入りすぎてなかなか書けなくなってしまうので、ここで日々聴いている音については書いてしまう。

食べることと寝ることと以外で、絶対に欠かせないものがもしあるとしたら、それは音楽、ただし私の場合、基本は「脳内サウンド」だが。

手づくりライトカレー 2004-05-15 22:25:02

私はいわゆるインスタントカレーというのをつくることはほとんどない。だって、あれは野菜を切ったり肉を炒めたりいろいろやってから最後に、みそ汁をつくるときに味噌を入れるような感じで、結局あまりインスタントじゃないから。それにあの「アミノ酸等」という、やたら舌に刺激的な化学調味料になじめないのだ。インスタントならレトルトの方が徹底していて良い。

でも、本格的なカレーとなると大仕掛けすぎて、夕方に帰ってから今晩のおかずにというわけにはいかない。そこで、我が家では市販のカレーパウダーを利用して、カレー風味の炒めものから、ちょっと発展したカレー味の煮物、タマネギもたっぷりで、いろいろな隠し味もつっこんで、もう少し煮込んだ「準カレー」くらいの、いろんな振り幅のなかで、ごく軽いいわば「ライトカレー」をつくることが多いのだ。調理時間は概ね30分。

このカレーパウダーも配合済みのカレー粉は使わない。そのまま全部混ぜればちょうど良いような分量の各種スパイスが小袋に入ってセットになったのを買ってきて、とりあえず辛み系のスパイスをはずし、若干好みで配合を調整した、これまた「準オリジナル」なカレー粉が良い。辛みの嗜好には個人差が大きいので、食べる直前に辛み系スパイスで各自が調整する。隠し味は発酵系のもの、酒、しょうゆ、味噌、チーズetc.これらが入ることで、煮込みの足りない部分を補いつつ、基本的には後味の良いカレーになる。

カレーは食欲増進効果が抜群で、たいていの場合、普段よりもたくさんご飯を食べることができる。それにスパイスやハーブの類には精神安定効果もあるようだ。

なによりも平和を願う私だけど、まず家の中の気持ちの安定と私自身の心の平安を確保することが大切なことだと思っている。忙しくて疲れているとき、一時期レトルトカレーを夕食にしてしまうことがあった。でも、ここであと27分待つことが、どれほどその後の時を豊かにすることができるか。そんなことを考えた。

今日のカレーの中身:ブタもも肉ブロックを2cm角切。タマネギ、ニンジン、
ジャガイモ、バター、調味料、スパイス。
サイドメニュー:スープ(株のみそ汁薄仕立て)よく冷やしたトマト。

風邪? 2004-05-14 00:05:34

別に、熱もないし、咳も、喉の痛みもありません。どっちかと言えば脳内の血の巡りが悪いって感覚です。でも、たぶん?新手の風邪の一種じゃないかと勝手に判断して(いかにも邪な風ってかんじなのだ)、いろいろと自己療法をやってみた。

飲み食いの事で言えば、栄養豊富でカロリー控えめがいいみたいなのだが、昼はまともな食事をとってない。良い音楽と気楽な読書はプラス。単純な肉体労働も良い。危険作業とか責任の重い仕事とか、先の見通せない心配とか、TVとかパソコンとかはあまりよくないみたいだ。

書き込みを控えていたののもそため。でも仕事では毎日パソコンに向かっている。

で、ちょっと大変だったが、結局医者にかかることなく状態は改善してきた。

歯茎が炎症を起こしているのがちょっと良くない。これは歯磨きだけでは直らないか。

見積もり 2004-05-04 15:07:23

8時間と見積もった作業に結局17時間かかった。田んぼの田おこし作業のこと。機械の不調に関係して4時間のロス、水路の緊急補修関連で2時間、休憩をのんびりとりすぎて1時間など、直接作業でないロスタイム部分を差し引いてみれば、1時間程度のオーバーなのだが、こうしたロスタイムもカウントするのがフェアだとしたら、やっぱり見積もりが甘いということになる。耕耘機のエンジンが回っていたのは正味4時間くらいだろう。

人生なにごとも見積もりどおりには行かないものだ。そんなことは小学生にだってわかっている。しかし、振り返ってみても、日々あまりにも見積もりの誤差が大きい気がする。

私の見積もりを補正する係数は約2.0だと言われた。つまり2時間でできると私が言ったことは4時間と考えた方が良いということらしい。悔しいが事実がそれを証明してそうなきがする。

それでもなお、やらねばならないこと、やりたいことのリストが山のようにあって、スケジュールにどのように割り振ればいいのか見当もつかないで途方にれてしまうのだ。

優先順位というものはわかってるつもりなんだが。

今日は雨、また予定が狂う。

5月1日だ! 2004-05-01 21:56:08

うっかりすると大失敗の部類になるかなぁ・・・いや連休明けにリカバリーをなんとか、それにしても、説明(いいわけ?)をどうしよう。このタイトルの後の日付は自動的に入るので昨晩書いたあと読み返さなかったので、この現実に気がついたのは朝7時ころでした。

まぁいいや、正直に忘れましたと言うしかない。つまり、日付なんだけども、昨日が4月30日だってことは頭で理解はしていたんだが、実感がともなってなかったらしく、30日締め切りの大事な仕事上の書類があったのを、すっかり忘れて、さぁて今日これから郵便局へなんて思ってふと気がつくと、5月1日じゃないですか。

やばすぎです。注意欠陥もこうして仕事に影響するようになるとマジ困ります。今回の場合、連休明けの状態次第では、間に合わなくてかえって正解ということももしかしたらあり得るけれども、やっぱりねぇちょっとまずいっすよ。

本業では社長兼営業部長兼総務部長兼現場監督兼作業員&事務員で、家では農業もちょっとはしている基本的には兼業主夫の私ですが、この際「秘書」か「マネージャ」がいてくれたら助かるかも。これは兼務は意味ナイと思う。

揚げ物 2004-05-01 01:00:37

我が家では揚げ物料理をあまりしない。たぶんお弁当のおかず以外では本当にめったにやらない。それは一重に私の責任なのだが、ふと思い立って今日は、ブタモモ肉の一口カツ用というのを買ってきて、指示通り一口カツをつくってみた。

子どもにはうけた、つれあいには「お弁当?」と言われた。

私は、モモ肉のジューシーさを殺さずにかつ歯切れ良く揚げられたこと、そして中濃ソースの味とのバランスが良かったこと、付け合わせを定番のキャベツにせず、アスパラにしたら見た目がきれいだったこと、などで充分に満足している。

なぜ私が揚げ物をあまりつくらないのか、それはたぶん母の影響かもしれない。つまり子どもの頃からあまり揚げ物を食べない家だったから。トンカツは外食で食べるものだと思っていたし、エビフライが食卓に乗ることはまずなかった。

ただし天ぷらはよく食べた。それは必ず揚げたてでなければならず、お座敷天ぷらならぬDK天ぷらというスタイルだった。なるほど、天ぷらが揚げたてのアツアツがおいしいことは間違いないのだが、フライ系になると、ある程度時間をおいて油を落とし温度が下がった状態でないと食べにくい。このあたりの微妙な違いが何か私の料理の嗜好に影響を与えているのかもしれない。

いまでは私自身は、山菜の天ぷら(特にタラノ芽とコシアブラ)以外に天ぷらを揚げることもあまりない。(本当は魚系の天ぷらが大好きなのだが、山国では天ぷらに耐えられるような新鮮な魚はなかなか手に入らない)

そういえば唐揚げも嫌いではない。フライよりはつくることが多いような気がする。だいたい鶏の唐揚げなわけだが、やっぱりお弁当メニューって感じがする。

全体的なバランスとして、揚げ物料理が極端に少ないので、廃油の処理に困ったということがほとんど無い。

日本で油を使った調理ということが行われるようになったのは、南蛮貿易時代以降のことらしい。その後も食用油なんてものは高級なものだった。純粋な和食や田舎料理には揚げ物どころか炒め物さえも無いものだ。そのあたりにこだわる気持ちはほとんど無いんだが、毎晩の献立を考えるときに揚げ物がはずれがちになるのは実はDNAレベル何かがあるのかもしれない。

これから育ち盛りの子どもを食べさせなければならないという事を考えると、揚げ物というのは、ボリューム感のある一品を簡単につくる手法としては悪くない。というわけで突然だが、通販のカタログで揚げ物用の便利な鍋が出ているのを見て買うことにした。

これで我が家の食卓に唐揚げやフライが登場する回数が増えるかもしれない。
だが、いま普通に手に入る食用油はほぼ外国産しか無いと言って良い状態だ。いまうちにあるのもオーストラリア産の菜種油だった。こんど国産の菜種油を探してみよう。

希望を語る責任 2004-04-22 00:43:03

今日は、私の地元である、八坂村と隣の美麻村、大町市の合併協議会が、八坂村を会場にして行われました。

それで久々に新システム導入に手間取ってちょっと放置状態の"やさかむら.ネットを更新しようと思いつつも、極私的感想の部分はここで書いてしまおう。

村の最高責任者なんだから、村長さん、あなたは希望を語る責任があると思います。
隣の市長さんは、一応それなりに展望を語ってくれたのに、うちの村長さんと隣村の村長さんは、お二人そろって、財政的にやっていけない、仕方ないから合併・・、国の政策だから・・みたいな事の繰り返し、無投票とは言え村民の信託を得て村リーダーになったわけだし、そろそろ前向きに話しましょうよ。

私は、誰が村長でも首相でも関係なく、とにかくココで暮らしていくつもりですが、どこか逃亡先を探そうかという話も最近話題になったりして・・・、私は別に弾圧されているわけでもないし、悪いことをしているわけでもないので、気に入った土地で暮らし続けたいのです。

残念ながら、一番身近な自治体である村も、合併後の市も、財政破綻の県も、言葉だけは威勢がいい首相のいる国も、たよりにできません。

自分のことは自分で守る。家族を守り、となり近所と助け合う。それしかないってことをあらためて考えてます。それから、今この場に立っていられるのは、この地を守り育てて来た、限りないチカラの集積の結果だってことも忘れずに。

大人は子どもに対して、現実を教えるだけでなく、希望を語る責任があるんじゃないか。
歩いて学校に通いはじめた我が子の背中を毎日見送りながら、こんな時代に親をやってる自分に言い聞かせてることです。

戦争だから 2004-04-16 00:53:53

イラクのような危ないところに出かけていって人質になるなんてとんでもない迷惑だ、という人がいる。どんな理由があれ、同胞が命の危険にさらされているときに、無事解放を求めるどころか、誹謗中傷するような日本人が(それも個人的にとどまらす、メディアを通じたあからさまなものまで)いるということは、本当に情けないことだ。

自衛隊の撤退の可否や、捕らわれた人たちの主義主張をさしおいても、まず無事解放を願い、それからいろんな意見を出すというのが、最低限の人間性というものじゃないのかと思う。本当に心がすさんだ国になってしまったものだ。

日本政府によると自衛隊のいるところだけは「安全」ということらしいが、イラクはアメリカ軍の空爆以来、ずっと戦争状態にあると言って良いだろう。

戦争の定義について専門的なことはわからないけれど、単なる殺し合いではなく、民族とか国家の名において組織的に殺し合うことらしい。

イラクで日本人を拉致し「自衛隊が撤退しないなら焼き殺す」などという恐喝をした後に、宗教指導者に諭されて解放したのは、ただのテロリストではなく、アメリカ支配から祖国を解放するために戦う戦士集団らしいし、ファルージャで無抵抗な子どもたちまで虐殺したのは、ならずものの暴力集団ではなく、世界で最も強力なアメリカの軍隊なのだ。

そういう現実を「政府公報」でないかたちで現場から伝えるのは、まっとうなジャーナリストの仕事だろう。殺し合う人たちの巻き添えで傷つく弱い人たちに対して「復興支援の軍隊」ではできない直接的な手助けをするのは、NGOならではの役割だ。それはときに命の危険を含む仕事だけれど、そのような日本人がいることを我々は誇りに思って良いと思う。国際貢献とはまさにそういうことなのだ。それをただ「自己責任」という言葉で冷たく突き放すという態度には愛国心のカケラも感じない。(確かに無謀な行動は慎むべきではあるが現場を知らない人間が勝手に言えることではない)

こういうときの日本国家の役割、なすべきこととは何だろうか。小泉首相の政府はとにかくアメリカに従うことが全てだと考えているようだが、片田舎で(都会でも)暮らす普通の日本国民の立場ではどう考えたらいいのだろう。

私は、日本は戦争をするべきではないと考えている。とくに現在イラクでアメリカがやっている戦争に協力する必要はまったくない。日本にとってアメリカが大切な国であることは確かだが、そのアメリカの政府が、もし間違ったことをしているなら従うべきではない。(たとえ恐喝されていたとしてもそんな脅しに屈してはいけない)

あたりまえの話だけれど、もし今の日本の政府が日本国や日本人のために間違ったことをしているとしたら、それを正すのが国民の仕事だ(民主主義なんだから)。

このままでは自衛隊は本当に戦闘状態に追い込まれかねない。そしたら日本は本格的に戦争に加わることになってしまう。(武装したアメリカ兵を輸送したりしてるのだから、客観的みればもう参戦してるとも言えるのだが)

人質が解放されたことは喜ばしいことだ。そして今ならテロリストに屈服したと言われることもない。明日にでも小泉首相には自衛隊の撤退を表明してもらいたい。それがこれ以上日本の歴史を汚さないで済む方法なのだ。

こんな事を書いている私は、とてもイライラしている。ちょっと疲れている。平和的でないと思う。

豆腐汁 2004-04-10 22:59:15

今日は私の暮らす集落の春祭りであった。私は今年「年番」つまりお祭りの世話役だ。お供えを用意したり、神事の後の宴会の用意をしたりいろいろと忙しい。と言ってもわずか13戸しかいない「むら」のこと、たいしたことではない。慣れてみれば。

春祭りだけではないが、ちょっとした宴会に欠かすことができないのが豆腐汁だ。

今日は豆腐4丁(1丁400gくらいある)豚のバラ肉薄切り600g、長ネギ3本、ニンジン2本、ゴボウ2本、ビタミン竹輪6本、白菜(約1キロ)1個でつくった。味付けは基本的には醤油と酒。本ダシを入れる人も多いが味がしつこくなるので私は入れない。

地元ならではのB級郷土料理という感じだが、豆腐と豚肉の入った醤油味の汁という以外に特にルールは無い。まぁ長ネギとビタミン竹輪は必須と思われているようだが、料理をする人の創造力をこの限定された環境のなかでどこまで発揮できるかという余地は充分すぎるほどある。

大鍋にいっぱいつくっても余ることは無かったはずなのだが、今日はなぜかお祭りが終わったらすぐに帰る人が続出、15人を想定してたのに、9人しか残らなかったので、大量に余り、我が家の夕飯のおかずにも再登場した。

お祭りと言っても、神事と軽い宴会だけなのだが、朝からお宮の屋根に上がって冬の間にたまった落ち葉を掃いたり、参道に雪で倒れた木を片づけたりという作業がある。年番ともなれば前日からお供えのお餅をつかなければならない(餅つき機だけど)。忙しいのにやってられないと思うこともある。

昔、何の娯楽もなかった時代。ただ働くだけの毎日にとって、お祭りはまさにハレの日であり、唯一の娯楽、そして仲間意識を育てる共同作業であり、様々な事件がおきるイベントだった。人々はわずかな蓄えさえも吐き出して、仕事を休んで神に感謝の祈りを捧げ酒を飲んで人のうわさ話をした。単調な日々に退屈しきらないために。

時代が変わって、娯楽があふれ情報もあふれ金を稼いで蓄えさえもできる時代になったが、お祭りの形式と形式化したとは言えどもなにかしらの精神は伝えられ、私のようなよそ者であっても、その空気を受け止めさえすれば仲間として世話役までやらせてもらっている。

お祭りのいろんな飾りが省略されて、神事と宴という本当のコアの部分だけが残された。誰も見に来るわけでもない、文化財としての価値もたいしてない、でもとりあえず神前にお供えをして礼拝するということは、たぶん良いことにちがいない。お宮の掃除をしてっ道をなおし、たいした料理はつくれなくても、手作りの宴席を用意する。

こうした精神は、退屈とか不安とかイライラという感情を治めることにつながるのではと思う。退屈と不安はどちらも平和の敵だ。

自衛隊の宿営地で料理をつくる人も、たぶん味見をしているだろうし。攻撃が続く戦火の街でも今夜のおかずの塩加減を考えるだろう。人間はいちいち、ちょっとだけ良いことをしたい、すこしでもおいしく食べたいし、なにかしら工夫をしたいのだし、傾いたものをまっすぐにしたいものだ。

人間をあきらめないで。

戦争から身を引くとき 2004-04-09 23:28:14

恐ろしい事件が起こってしまった。占領下のイラクでいちばん弱い人たちを支える活動をしていた日本人が、占領に抵抗して戦う人イラクの人たちによって、アメリカの占領政策に荷担している「日本の人間」だという理由で敵とみなされ、命の危険にさらされているのです。

日本人3人がイラクで拉致された事件に対して、政府は「テロに屈するべきではない」という「理論」で自衛隊の撤退を拒否する主張をしています。たしかにテロリストのやっている事は卑劣だし、暴力は断じて許せないことです。しかし同時に私たちは、いまや日本がこの戦争に積極的に参戦しているという事実を突きつけられているのです。

どう考えても、私たちはこの戦争に荷担するべきではありません。「テロとの闘い」という名目であってもこれは戦争なのです。戦争という場面では、誰であっても日本人だというだけで、敵国人とみなされることになります。イラクにいる日本人だけではない、世界のどこにいたって、日本人はこの戦争の相手からみれば敵国人なのです。

拉致された人たちが自衛隊にはできないような、真の人道的な活動をしていたという事実は、犯人たちにもやがて伝わることでしょう。彼らがアメリカや日本の政府よりも人道的に優位な立場につく道を選んで、自衛隊の撤退と罪のない人との命を取引しようなどということをやめてくれればと思います。

テロリストと呼ばれる犯人たちですが、彼らは自らを祖国解放のために戦う戦士だと思っているわけで、敵を屈服させるためには手段を選ばない可能性はあります。確かにアメリカの占領による理不尽な暴力の犠牲になった人々の怒りは理解できます。しかし祖国に平和を求めるならば、このような暴力を使わない手段を求めて欲しい。

たのむから殺し合いはやめて欲しい。21世紀になってもまだ問題解決のために殺し合いをしなければならないと考えている大国の指導者がいて、それについていくのが国際貢献だと勘違いし、人の命を政治的かけひきの材料にしようという人々がいる。殺し合いではなく話し合いで物事を解決できるのが人間だと私は信じています。

いま自衛隊を撤退させることは、テロリストの脅しに屈することではありません。このばかげた戦争から身を引き暴力の連鎖を断ち切るという、あたりまえの行動をとることです。

私は、理不尽な暴力の横行する戦争に荷担することを「国際貢献」とは考えません。多くの罪の無い人々の犠牲を省みず、繰り返される暴力による報復合戦でしかない一連の戦争は、決して愛するものを守るためのたたかいとは認めません。

平和的な交渉による人質の解放を願うとともに、自衛隊のイラクからの速やかな全面撤退を求めます。

公教育 2004-04-06 23:02:58

昨日は小学校の入学式だった。新入生はうちの子もいれて9人、全校で82人。みんな精一杯緊張してハレ舞台を無事乗り切った。

来賓は新入生の4倍もいた。村長、議長、村議、○×委員などなど。こどもが学校に入るということの重みがとても大きい、小さな村なのだ。

校長先生はモーニング。他の先生方は地味系のスーツ。保護者の母親には着物姿も。なぜか父親たちはまったく普段の「背広」だった。私は黒のいわゆる略礼(もちろん白ネクタイじゃない!)保護者代表で挨拶することになってたので一応気をつかってみたが、このあたりのズレが微妙。(ちなみに私は普通は「背広」にネクタイなんて格好をしない)

演壇には国旗と村旗。開式前には「一同礼」・・・そうだった入学式は公の教育の入り口にあたる式典であり、その意味で世間一般の式とは違うまさに「正式」なものだったのだ。

この季節なにかと話題の「君が代」。オリンピックなどで演奏する約2倍のテンポで軽快な印象。これなら子どもでも息切れせずに「こけのむすまで」歌える。これはもしかしたら「国家」というものに対する印象を変えるほど結構オススメのテンポである。

保護者代表は式の30分前に呼び出され、なんとリハーサルをした。要はおじぎの仕方の練習だった!(演壇には上らないのだから、国旗への敬礼はしない。こどもたちと同じフロアで、何も背負わずに挨拶ができた)

新入生には文部科学省から教科書が配られた。

封筒に教科書無償配布の意義について書いてあった。

なるほど「公教育」なのである。そもそも「公」とは何か。高校時代から何度となく取り組んできた課題を久々に思い起こした。

記念写真はあまりに太陽がまぶしくて、みんな目を細めて写っていたと思う。

全てが終って解放されがこどもたちは、よそ行きの服のままダーッと走り出した。あと10分放って置いたら、ピカピカだったのがドロンコの一年生になっていたに違いない。前日の雪で校庭はぬかるみだったのだ。

#ref(kyokasyo.JPG)こんな風に書かれると、教科書だけ配ってればそれで公教育の責任が果たせてるみたいに読めてしまうのだ。でも本気で教育に関心があるように思えないことがしばしばなんだなぁ。

アクセスログ 2004-04-02 01:33:59

毎日ではないが、ときどきアクセスログをチェックしている。たいしたアクセス数でもないのだが、かなり偏った傾向があっておもしろい。

たとえばここを見に来る人は、いまだにwindows98/meの人がかなり多い。Netscape4.xの人もいるので、このページの表示に問題が出ている可能性がある。linuxの人はたぶん私だけ?

このサイトよりもっとアクセスが少ない http://yasakamura.net/ に思いもかけないところのリンクからアクセスがあった。見に行ったら日記系のページで、つい読みふけってしまった。文章が特別に面白いというのではないのだが、いくつものキーワードについ読み進んでしまうのだ。

私とかなり共通する世界への感じ方を持った人のようで、とてもアグレッシブで才能豊か、そして、いい結果を出している。いいなぁという感じデアル。

ブログ系のサイトではないので、トラックバック機能があるわけでもない。だいたい私のサイトにアクセスしてきたのは、そこの作者かどうか定かでもない、でも誰かのアクセスをこちらから遡った結果、思いがけず好きなサイトにめぐりあってしまったわけだ。

「やさかむら.ねっと」は2月に全面リニューアルして再出発を予告しておきながら、いまだ手つかず状態、掲示板もまったく動きがない状態なのに、たぶん同じ人と思われる誰かが、ときどきその日記ページから見に来ている。期待されているかどうかはわからないけれど、計画どおりにリニューアルを進めようという気持ちになった。

有為記は?丸太ゴロゴロなので、どうでもいいんだが・・ついこんな事を書いてみた。

無事帰還 2004-03-30 23:37:11

喉の痛みを伴う(というかほぼそれにつきる)タイプの風邪で、ここまで苦しんだのは初めてだった気がする。
中学の卒業旅行以来だから20数年ぶりに、千葉県は外房、勝浦をベースに小旅行に家族て出かけたわけだが、正直かなりつらいものがあった。
一応一家の長として旅そのものは、ちゃんとスイッチを切り替えてちゃんと楽しんだのだが、宿にもどって食事も終えて、我に返ると、喉の痛みと発熱である。旅先ゆえにいつも得意の食事療法がまったく使えない、もちろん週末だから医者にもかかれない、運転するのでバファリンくらいしか薬も飲めない。

1ヶ月前のときのような切迫した気合いが足りなかったことは事実。すでに26日の時点で、喉に兆候は感じていたのだが、具体的な対策を何もしなかった。実は22日には家族がやられかけていた。そこで、先手を打って食のチカラで悪化をくい止め、計画していた旅行のとりやめは阻止できた、と思っていたのだが、自分のことを甘くみていたのだった。

もちろん全ての病気を食事だけでくい止めることができるなどと考えているわけではない。しかし、生きているモノとしての基礎的感覚があれば、自分の身体の変化は敏感に感じ取ることができるし、それに合わせた食べ方、働きかた、寝かたというのが自ずとわかってくるものだ。それでこそ、これは医者に行くしかないという判断も出てくるのだ。だが、今度ばかりは、気を抜いていた。

最悪の状況は避けられた。いまや我がホームグラウンドに帰ったのだから、体調の復活を期して、まず夜更かしをしないでこれで寝るとしよう。

リフレッシュ 2004-03-27 00:38:16

ちょっとかなり多忙だった。休んでる場合じゃない気もするが、休暇!ってことで、ちょっとだけ暖かい地方にお出かけします。

メニュー 2004-03-20 00:51:11

疲れて帰ってくる人が何を食べたいか、あるいは何なら食べてくれるか、ということについて配慮するのは、家事担当者のつとめのようなものだ。

もちろん私自身も仕事で疲れて帰ってきてから、ちょっとだけ休憩して、夕飯の支度にとりかかるのだが、私だけのために私が用意するメニューはあまりに簡素にすぎるかもしれない。実際、私ひとりなら、玄米にゴマだけ、ときどき納豆か豆腐でもあれば、それだけでもいいかもしれない。

子どもは毎日いろんな変化のある食事だと喜ぶが、大人になると、特に疲れているときは、とっても保守的になって、いつものメニューがいちばんということもある。

今日はそんなに疲れていたわけでもないのに、子どもといっしょについTVを観てしまってから、おなかがすいたと言われて、あわててご飯を炊いていないことに気がつく始末。そこで、超特急でスパゲティーをつくったら、これが案外喜ばれたりするのだからおかしい。

でも、一週間の疲れを背負って決まって遅い時間に帰宅する人には、スパゲティーでは気の毒なので、和食系の別メニューを用意してしまった。

そして今、深夜に起きて、インスタントコーヒーを飲みながら、終わっていない仕事の書類のとりまとめをする前に、こうして公開日記を書いている私である。

明日はやっぱり現場仕事はやめて事務作業の傍ら、もうひといき部屋の片づけにとりくむことにしようか。そうすれば、とりあえず料理以外の家事がまったくできないという精神的負い目から少しは解放されるかもしれない。

ところで、明日は3.20ピースアクションという世界的な反戦平和行動があります。私は、デモに行く以外の方法で何か考えます。

雪! 2004-03-18 09:53:00

ナント!朝から雪なんですよ。6時くらいは雨だったのが8時には雪に。

それで現場は午後からにしました。午後は晴れるらしいんだな、またこれが。

せっかく春の気分だったのに一面の銀世界に激変。昨日は20度くらいあって、もしかして初夏?ってくらいの陽気だったのに、う~ん、激しい気候だな。

温暖化ってのは平均気温が上がるだけじゃなくて、干ばつとか大雨とか、とにかく激しい気候になるらしいのですよ。一説によれば最近4000年ほど地球は比較的おだやかな気候だったので「文明」とやらも各地に広まったそうな。

もしそうなら、そろそろ「文明時代」もおしまいってことになるのかも。で、次の時代は?

デスクトップ 2004-03-15 23:40:38

PCじゃない。リアルデスクトップのこと。ついさっきいきなり片づいた。が、床の上は目も当てられない状態になっているなんてことは言えない・・・。

火事になったと思えば・・なんて事をよく言われたもんだ。つまり、全部捨てなさいということ。そこまで悟ることはできないなぁ。

せめて、リアルのデスクも二つ持ちたい。いまPCのデスクトップは常時4つでも空きは1つしかない。もっともXFce4なら簡単にデスクトップをいくつでも追加できる。他に仕事専用のノートPCが、こらはwindowsだからデスクトップは一つしかないが・・・。

忙しいのではない、工夫が足りないだけなんだ。

そろそろたんぼの雪も消えたので、農作業もはじまる。

やりたいこと、やりかけのこと、やらなければならないこと、できそうもないこと、できたらいいなということ、やってしまったこと、やらないときめたこと、ぜーんぶリセットして、農作業と料理だけにしたいもんだ。

いったい「食べる」以外に人間にとって本当に必要なことってあるんだろうかって思う。

いや、やっぱりある。たくさんある。

脳内デスクトップはリセットできないらしい・・・

模様がえ 2004-03-13 23:47:31

残念ながら今日のおかずは魚というわけにはいかなかった。今日一日、我が家では画期的な模様替え、家具の配置から寝るときの向きまで、新年度を目前にした大改造をやった。

「やればできるじゃん」というのが感想。一家3人がその気になってに一日働けばかなりのことができるものだ。そう、3人である。うちの子もそんなことができる歳になったのだ。

買い物に行けなかったので、魚料理はナシ。干物ならともかく鮮魚は買って即日調理が鉄則。もっとも山国ゆえにホンモノノ鮮魚が手に入る日は限られているのだが。

結局私のデスクトップは相変わらずの散らかり放題なのだが、いずれ全体のレベルアップに対応してキレイにしていかなければならないだろう。

レシピ 2004-03-12 23:07:25

私は名前のある料理はあまりつくらないことにしている。「肉じゃが」と言えばこうでなければならない。「麻婆豆腐」はこういうものだ。などなど、人にはいろんな思いがあるので、ちょっとでも違うと、それだけで料理への評価が下がってしまい、楽しめなくなるからだ。

頼るのは自分の舌(自分の舌は裏切れない)そして母から教わった料理についてのいくつかの基本原則(うまく文章にできないのだが・・)。これを守れれば決してマズイ料理はつくれない。だができた料理に「これは何?」と言われても答えられないことが多い。

とりあえず子どもには、材料を示して、例えば今日の夕飯のおかずだったら、豚のヒレ肉と人参とタマネギとヤマイモを切って、酒と醤油と酢で味付けたおかず、と説明してみた。煮たとも炒めたとも焼いたとも言えない微妙な調理方法なのだ。

私には今日の料理は必ず再現できる。もし材料が違っても、同系統の料理をつくることも可能だし、中華風からインド風、欧風、和風、どんなアレンジでもしてみせよう。しかしレシピを書けといわれても困る。

明日は魚にしたいな。

失敗談 

「精米(我が家では週一回は自家精米している)しながら、残ったみそ汁を温めていたら焦がしてしまった。弱火にするのをわすれてたからだ。」なんて失敗はそれほど重要なことではない、よくある話だから。

それよりも「保育園の保護者会の役員会で話し合うことのリスト(いわゆる会議次第ね)をつくらなかったので、大事なことを抜かしてしまって、そのフォローが大変だった」ということの方が大きな失敗かな。

でも「大事な仕事上の電話をしようにも、相手先の電話番号がみつからなくて、明日の用事なのに今日になってメールを書いたけれど、はたして今日中に読んでくれるかわからない。」なんてことの方が、まだ失敗になってはいないけれど、ヤバイことだな。

なんか共通するのは、要するに不注意に基づく失敗だってこと。いろんな事をやりすぎているからダメなんだって言われるのだが、一つのことしかやってなくても、やっぱり同じように不注意での失敗を繰り返すタイプなのだ。

失敗のフォローは素早い方だと思うし、そのことを通じて、何にもなしであっさりうまく行ったときよりも、いろいろ勉強になったり、いい結果になったりすることもあるのだ。などと威張ってみても仕方ないか。

きちんと整理整頓の行き届いた人生を送ってみたいという希望はあるのだ。ゴチャゴチャ散らかった生活を良しとしているわけでは決してない。でも目の前にある机の上(リアルデスクトップ)は書類が積み重なって大変な状態。パソコンのデスクトップみたいに、クリックひとつで書類を閉じたり、デスクトップそのものをいくつでも簡単に切り替えられたりすればいいのに。

誰に 2004-03-11

誰かに向かって生きているわけではない、誰かのために生きているわけでもない。だからと言って独りでもない。みんなと一緒に歩いているってことは間違いないことだから。

私をあてにしている人がいたとしても、頼りがいはないのであきらめてもらうしかない。私はだれかに頼ることはしない。でもみんな助けられていることは確かだ。

少しは人の役にたちたいって気持ちは私にだってもちろんある。

私はいつも流れに乗れない、いやむしろ逆らって歩いている。でも誰かにぶつかるよりも、うまくすれ違うことを選ぶようになってしまった。

それでも、よそ見をしていて、思わず「あっごめんなさい」ってことはある。

そういうときは、ちゃんと相手の目を見て話すようにしよう。

どんな出会いがあるかわからないのだから、逃さないように!

それらは、いちいち偶然じゃないのだ。

真冬に逆戻り?  2004-03-07 23:18:08

今日は消防団の「出初め式」だった。なんで今頃?と思われる方もあるだろうが、正月には雪が多くいろいろと大変なので、毎年3月に開催するようになっているのだ。でも今日は朝から雪降り。寒かった。

式典のあいさつでは何度も合併のことが触れられた。「合併の如何にかかわらず八坂村は不滅です」というような言葉には、静かなあきらめの空気が漂っていた。

人口1200人余のちいさな村である。消防団をはじめあらゆる村の役割は、全ての村民が担わなければならない。消防団はちいさな村ならではの全員参加の自治の象徴のようなものなのだ。人口3万人の市に編入合併されていくとき、この消防団のありかたも変わっていくことは確かだ。

出初め式の後、慰労会のボーリング大会には欠席した。今日はどうしても昼食と夕食の支度をパスできなかったし、最低限明るいうちにしなければならない家の片づけもあったからだ。でも二人の先輩の退団と役員改選ということもあり、夕方からの総会と懇親会には顔を出した。ただし今晩は仕事をしなければならないので、あえて自分の車で行って、酒は飲まなかった。(飲まないで宴席につきあうというのはやはり面白いモノではない。)

都会人から見れば、つまらない村のつきあいに思えるかもしれない。だが消防団は火災のときに出動すればいいというものではないのだ。こうして村の同じ地区に暮らすものどうしで集まることを通じて、言葉だけではわからないこの村のありかたを少しづつ感じあい、積み重ねて行く。

少しずつ衰退していくのか、それとも新しいかたちに変化していくのか、それはまだわからない。だけどこの空気を吸っていかなければ、これからこの地で暮らし続けることの展望など語れないと思う。

雪! 2004-03-06 07:23:35

もっとも旧暦ならば、今日は2月16日。

今年は春一番は早かったが、その後なかなか暖かくならない、それもそのはず?旧暦では今年は2月が二回あるのだ。雛祭りはナント4月21日である。

旧暦はいろんな意味で現代的には使いにくいのだが、季節の移り変わりと生活の密着度という意味では、いまの暦よりも面白い。

旧正月以来、今年私は旧暦を意識して暮らそうと決めている。

旧暦をwebに表示するスクリプトがあるのでいずれ導入を試みるつもり、でもparlのスクリプトをpukiwikiで表示するってことはできないか?phpに書き換えるなんてことは私にはできない芸当だ。

「思い」は通じるか 2004-03-05 01:20:37

最近、電話をしようと思った人からまさに受話器をとろうとした瞬間に電話がかかってきたり。ちょっと落ち込んでいたら、そのタイミングにドンピシャのメールが来たり。久々にメールを書いた相手から、いまメールを書き始めていたときだったのでメールがきてビックリしましたと返信が来たり、ということが続いている。

それは全て偶然だと言えばそれまでだが、私たちの理解を超えたところで、人と人はつながっているのではないか?ということを私は常日頃思うのだ。

せめて「思い」だけでも通じて欲しい、言葉にできなくても、連絡先がわからなくても、そんな気持ちになることは誰にでもあるだろう。そんなとき人は「思い」というものが物理的な回路を越えた何かで人と人をつなぐかもしれないという淡い期待を抱いているのだ。

期待や願望ではなく、やはり「思い」は通じる、いや通じてしまうのではないかとときどき考える。「悪しき思い」であっても通じてしまうのだ。だったら「良き思い」を常にいだけば良いのかもしれないが「思い」は結局制御不可能なのだ。

「思い」には嘘が入り込む余地がない。ごまかしようがない。それがもし「誰か」に向けられたときには、想像を超えたカタチで伝わっていく。そんな人々の思いの総体が世界をかたちづくっている。

みんなが「平和」を思うことができますように。

問題の問題 2004-03-03 22:46:31

問題という日本語は、questionとproblem両方の意味がある。日本人にとっては疑問と問題は同じようなことなのだろうか。

「何か質問はありませんか?」

「・・・・」

「では問題はないということですね」

そういう意味じゃ・・・

そもそもウェブログなんてもんは 2004-03-01 22:54:49

最近weblogとかblogという言葉ははやりだして、専用ツールやら、簡単に設置できるサービスも出てきて、ちょっとにぎわってきてるかもしれません。

ふつうの「ホームページ」とは違って、簡単に言えば「日記」を全面に押し出したウェブサイトということでしょう。

内容は文章中心。とにかく頻繁に更新されるというのが、いわゆる「ホームページ」とは違うところでしょうか。

私もwindowsパソコンをはじめて、インターネットにつながるようになってすぐ、プロバイダの付録機能で、ウェブサイトをつくってはみたのです。でも、内容(コンテンツって言うのがはやりだ)がまとまらなくて、結局目次(index)だけみたいなものになって、更新もしないで放置して、本当にweb(蜘蛛の巣)サイトになってました。

でも、思い出してみれば、その昔(やく10年前です!)パソコン通信をはじめたときに、nifty serveのフォーラムに出入りしながら、いろいろ書きはじめ、いつしかやりとりをするというよりも、かなり日々の報告的なものを書き始めたときには、書きたいことがいっぱいあって、どうしようもない状態でした。

FAGRI FRIVER FENV FSHIMIN FCARなんかにずいぶん投稿(かなりポストという言葉が近かった)してました。

同じような興味のある人で、なおかつパソコン通信をやっている、これはかなり絞り込まれた存在だったわけで、結構濃いコミュニティーができていたように思います。

web全盛時代になって、みんなバラバラにどこかの掲示板とかメーリングリストとかに行ってしまい、私もケガをして現場に出られなかったりで、書く元気がなくなって、いつのまにかネットで発信する人ではなくなってしまいました。

それが、どうしたわけか?ainochikara.comですよ!

やっぱり書きたいことがあるじゃないかという事を思いはじめて、それで、怒濤のようにいろんなコミュニティーを構想したりして、結局いろいろなバランスを考慮してこのカタチになったわけです。

さて、ウェブログですが。この場合のlogってのはコンピュータのデータなどの記録そのもの、例えばアクセスログとかエラーログとか、どんどん出てきて積み上がって増えていくもののことです。通信のログファイルなんて使い方もありました。なぜか本来は丸太を意味するlogということばが使われたわけです(アメリカではよほど丸太がゴロゴロと山から出てくるのでしょうか、仕事がらうらやましい限りです。)

で、webの世界にもどんどん出てきてゴロゴロと積み上がってしまうものが増えていて(世界中のwebにあるデータなんて想像を絶する量でしかも毎秒増えてる)それが、weblog。

丸太ってものは、たとえログハウスにするのだって、いろいろ加工しなければならないし、まして材木にするためには製材したりとかいろいろ大変なんです。丸太のまんまじゃほぼ使えない。weblogってのも結局そういうことなんじゃないかな。あくまで素材。



引っ越し完了 2004-02-29 14:34:30

小湊美和ファンサイトとyuni個人サイトの分離独立など、いろいろ構想していくなかで、ainochikara.comはPukiWikiによるWeblog風サイトとなった。

埋もれていたものを掘り起こしつつ、私が最初にネットワークへの発信をはじめたときのことを思い出し、やりたいことを整理していく。

実はまだnifyに蜘蛛の巣サイトが残ってるのだけど、HTMLをいじる気になれないので、しばらく放置したままにするか、気がむいたら、コピペでこのサイトに持ってくるか考えることにしよう。

パソコンとのつきあい方も整理中。仕事道具であり、おもちゃでもあり、生活必需品のようでもある。

コンピュータなんだからもっとコンピュータらしい仕事をさせたい。人間は人間にしかできないことをやればいい。というわけで、プログラミングか文章書きかどっちかに限定していこうと思う。

中間的な言語、たとえばHTMLのコーディングなんてことは、コンピュータの仕事にしてしまう。

とりあえずスキンとかは自分で書いてみたいけど、あとは・・そのうち。

PukiWiki開発チームのみなさんには感謝しなくては。

とりあえず体調は維持 2004-02-27 00:13:56

薬を買いに行く暇もなく、まして医者に行くどころではない、でも、食べて飲んで、なんとか熱は出さずにすんでいる。

実に体調が良いとは言えないけれど。気分が良いと元気は出るもの。

明日は現場打ち合わせの後はあえて仕事をせずに、はやく帰って買い物、食材をそろえる。まず一汁一菜の基本を整える。さらにプラスワンをイメージしなくては。

それにしても、新良幸人ってカッコイイナァ~とつくづく思う。

ヤベー 2004-02-23 22:29:51

風邪のウイルスしかも結構強烈そうなやつ、もしかしたらインフルエンザかもしれないやつが、喉に張り付いたらしい。今日の午前仕事中におかしくなったのもたぶんそのせいかもしれない。

まだ、熱は無い、咳も出ない。なんとなくおかしいというだけだ。

それで、とりあえず食べて撃退する方法を考えた。

骨付き鶏肉とブツ切り、ニンジン、ハクサイ、を時間をかけて煮て、ニンニクをすりおろして加え、味噌仕立てにしたスープ。これだけで、暖房してられないくらいに身体が暖まる。

加えて、ヒジキと大豆、人参、アブラアゲを炊いたもの。さらに5年モノの自家製梅干し。

オレンジとイチゴも大量に食べてみた。

とりあえず症状は悪化してはいない。

明日早朝発、1泊出張岡山へ。明後日会議。金曜日新しい現場でのうちあわせ。休めないのだ。

南西風 2004-02-22 17:37:25

私が生まれた今の季節は厳寒期のはずだった。だが昨日から妙に暖かく、そして今日の南風である。信州では春一番というのは特に観測されないことになっているのだが、2月14日に引き続き今日も強烈な南風が吹いて気温が上がっている。

特に今日、曇って日差しが弱いにもかかわらず、ものすごい勢いで雪が解けているのだ。我が家の脇を流れる水路は、まるで大雨の後のような激しい音をたてている。あっという間に雪が解け、畑の土が現れた。

毎年思うのだが、雪が消えて行く季節は何となくもの悲しい。雪が消えてもすぐ春になるわけではないからだ。いつもなら3月末に感じるこの変化が、今年は1ヶ月もはやく来てしまった。いや来週からはまた寒さが戻るかもしれないので、春が来たと言うのは少し待っておこう。

今朝、那覇から宅配荷物、通販で買ったCDだ。Amazonでも買えるのだけど、やっぱり直接沖縄に発注してみた。沖縄はもう春まっさかりなんだろうか。

こっちは真南風 元気がでそう。

肉食人種 2004-02-15 18:31:46

私はベジタリアンになんか全然なりたくないし、なれるとも思っていない、でも肉がなければ生きていけないというわけでもない。ただ台所を任されている立場としては、肉を使ったおかずはカンタンなので、ついつい肉料理系に走りがちだということは事実だ。

輸入牛肉のBSE問題の影響は我が家にはゼロだった。なんとなく輸入というだけでイヤな感じがして普段から買わなかったし、もともと牛肉に弱い体質らしく、美味しいけれどもたくさん食べられない。だから牛丼が無くてもまったく困らない(関係ないがなぜか長野県には吉野屋が少ない)。でも結局は豚か鶏に頼ってくらしていることは確かだ。豚も鶏も輸入飼料なしでは今のように大量に安く買うことはできないのに。

肉食人種は地球にやさしくない、そして健康的でもない。
そんなことは知識としてはわかっている。「田舎暮らし」らしい食卓にしたいなら、もっと地産地消にこだわっても良いだろう。夕食の用意を30分で済ませることが課題になっているのは現実だが、工夫の余地はあるはずだ。

人間が生きていくうえで、食べることが大切だということは言うまでもないことだ。だが、食べるだけでない大切なことがたくさんあるのもまた、人間ならではと言える。
つまらないこと、無駄なこと、ときにはやさしくないこと、迷惑なこともふくめて、私はなりたっている。

今晩は、豚入りの鍋(大人だけキムチなべ風にする)+うどん。一応国産小麦100%のうどんをスーパーで買ってみた。

苦労して(楽しみもあるが)米をつくっているのに、なぜか私は小麦をつくったことがない。それはいまの暮らしの環境を考えるととても残念なことだ。そんなことも私の現実。私は田舎で暮らしているけれど「田舎暮らし」をしているわけではない、農林兼業主夫を語ってはいるけれど、農的にはまったくダメだ、いわゆる農的生活にさえなっていない。

でも、こうして夕食の支度の直前にパソコンに向かっているということを、間違っているとは思わない。もちろん正しいと主張しているわけでもない。

あと3分、こうしてキーボードをたたく。私は、このHHKB lite2 というキーボードが気に入っている。変なやつだと思う。

夕食のおかず 2004-02-13 23:24:31

考えなくても、とりあえず要りそうな材料を一式そろえてあるので、なんとか食べられるものにはなる。概ね和風というか、特に意識はしないのだが、我が家では米だけは充分にあるので、ご飯とみそ汁(味噌は自家製ではなけれど、これまた大量にあるのだ)が基本になる。

日本人ほど、一般家庭でさえ世界の料理を日々食べている民族はいないんじゃないだろうか。たぶん中国人は毎日中華料理を、インド人はいつでもインド料理を、何の疑問もなくつくって食べているのだ。そう思って以来、私は今日の献立について悩むということをやめてしまった。

我が家のふつうの料理でいいのだ。残念ながら、山国なので新鮮な魚介類にはとぼしい、仕方なく肉料理が多くなる。これを補うには野菜を豊富にすることしかないのだが、はっきり言って季節にあわない野菜は美味しくない。冬のトマトはどうも買う気になれない。で、冬になるとどうしても、ダイコンやハクサイばかりになるわけだ。

でもさすがに、ちょっと飽きてきた。で今日は、久々にヒジキのご登場。
ニンジンとゴボウ、肉体労働者と子どもがいるので、ここに豚肉を少々入れて、もどしたヒジキ、これをさっと油でいためて、酒、みりん、醤油であじを付け、最後にゴマ油をたらす。豚肉200gで5食分になった。これとワカメたっぷりの豆腐のみそ汁。調理時間30分。

私はこの手の食材を不味い料理にする方法がよくわからない。お総菜として売ってるものが、なんであんな悲しい味になるのか、レシピを知りたいものだと思う。

固まった 2004-02-11

洗濯機に洗い終わった洗濯物を入れっぱなしにしておいたら、ガチンガチンに凍ってしまった。約6kgいや乾燥前だらか10kgくらいあるか、凍った布の固まりをどうすればいいのか、無理にはがせばフリーズドライのコーヒーみたいにバラバラになってしまうかもしれないし。どうするか、思案にくれている。

初庚申  2004-02-11

マイナス10度の深夜、初庚申のお祭りだった。古式にならったわけではないが、和尚さんと年番さんといっしょに朝までお堂で過ごしてしまった。

酒も飲んだが、珍しくいろんな話をした。昔の話も多かったけれど、今の話もこれからの話もたくさんできた。気がついたら朝だった。

間違えた 2004-02-05 20:35:01

何を間違えたかって、お米を炊くときの水加減。いつもは4合炊くんだけど今日に限って5合にしようとおもったの。が、しかし研ぎ終わってみたら、4合だったかもしれないという思いが突然に襲ってきて、そう思ってしまうと5合分の水ではどうしても多すぎるような気がしてくるわけで・・、結構バリバリしておいしいご飯になりました。

なんでこんなことになったかというと、いつもの事なんだけど、今日は特にいろんな事を同時に考えながら料理をつくっていた。買い物のとき考えていたメニューと全然違うもの
になってしまった事は言うまでもない。

2004-02-04/22:12:59

少しずつ設定中。公開しながらテストするってのも変なのだが。そもそも、この日記は、タイトルが示す通り、何かの為に有るという妙な気合いが入っているらしい。

もちろん単にWikiを"ういき"とタイプしてAtokXが変換した結果がおもしろかったのでそのまま採用したということでもある。

これから先、どのようにパソコンやインターネットと関わっていこうかと考える。

確かに、ちょっと時間をかけすぎていたような気がする。

もっと簡単に、気楽に、でもオリジナリティーを持って続けていきたい。

それで、以前から気になっていたWikiを試すことに。

私がネットで発信したいことは、これで充分可能なのではないか。
HTMLをカタカタとタイプするよりも、肝心な文章の方にもっと時間を割きたい。インターネットならではの、インタラクティブな情報交換というものを考えたときに、Wikiはおもしろいのだ。

数あるWikiClone?のなかからPukiWikiを選んだのは、特に意味はない。手近にあったというだけのこと。

もうひとつのサイトも、まもなくWikiメインのオープンスペースとして公開します。~
実はすでに公開されてるのだけど、URIを教えてないから誰も知らないだけだったりする。

2004-02-04/07:13:11

ainochikara.com全部をPukiWikiを利用したBlogにしようと思っています。
自力でやるのは大変なのですが、すでになかなか良いものができてるので、
それを使わせてもらいながら、少しずつやります。

いままでのコンテンツの引っ越しが終わるまでは、日記っぽくいきます。

Wikiを利用しつつも、ここは私の著作(?)ということです。
(Wikiの思想には反するという説もあるが)

2004-02-04

日記再開します。

といっても今日はこのページの設定だけでチカラつきてしまったので寝ます。

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