事業を始めるきっかけは、なんらかのニーズだ。
必要の無い仕事をわざわざはじめる者はいない。
誰にとってのニーズかということが課題だ。
自分の仕事が欲しい、これはとても単純な必要だ。
でも、それだけなら、起業しなくても、どこかの企業で働けば良い。
自分にやりたい事がある、それを実現できる組織が無い。
自分やりたい事をあきらめるか修正して、既存の組織に合わせるという生き方が普通だろう。そもそもやりたい事なんてものは曖昧だし、仕事を通じて見つけるものという考え方もある。
しかし、やりたい事がはっきりしていてブレない確信があれば、積極的な解決方法として、自分の仕事場を自分で創ることもある。
これが起業のひとつのきっかけになる。
反対に、周囲の人々から求められ、頼まれ任された結果として仕事をはじめるという事もある。できもしない事を任されることは無いから、ある程度できそうな事で、しかもたぶんうまくやってくれそうだと周囲から思われ、自分でも嫌いではない仕事でないと、頼まれたくらいで起業できるものでは無いかもしれない。しかし、社会が不安定な時期にはしばしばこうして起業してしまう人も少なくない。
自分のやりたい事とは、自分にとっての必要だけれども、それを必要とする人が他にいないとしたら、それはそもそも事業としては成り立たない。
極少人数あるいはたったひとりの人から必要とされている仕事もあるかもしれない。
必要としている人がひとりや二人ではなく大勢いる。この仕事はそれらの人々の役にたつし喜ばれる。
ただし必要とする人はいても、お金を出して買いたいという人はいない。
公共サービス(行政)なども広い意味で社会事業だし、政治活動なども、広い意味では社会事業だが、受益者から対価を得ることを考え無い場合も多いから一般的には事業とは異なる。政治活動の結果として公共サービスに新しい内容を創り出すという過程は、起業とにているところがある。
多くの人々に必要とされるモノやコトを、受益者から対価を得て持続的に行う、これが一般的な意味での事業だろう。
製造業やサービス業、自給にとどまらない農林漁業も、基本的にはこのタイプの事業だ。
芸術的創作や宗教活動なども、相手があっての活動だけれど、相手の需要に対応しなくても行われる活動なので、事業と言えない。むしろ事業になってはいけないとさえ考えられている。しかし個人活動ではなく社会的に持続して行われる活動だから、ある種事業と通じるところもある。
とりあえずこの段階では、事業とは、ある程度社会的な規模で、一定期間以上持続的に行われる活動で、人々の必要を満たすことができ、受益者から対価を得られる活動、ということにしておこう。
さて、ここから具体的な論旨を展開することができるか
これは総論的な著作ではない。
法則というタイトルは単に目立ちたいからだけかもしれない。
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