林業を仕事にしている私が言うのだから、それなりの真実味があると思うのだが。
木を伐るということは、決して良い事とは言えない。
人間が生きるためにやむを得ず行う事であり、
その行為自体については、例えプロであっても、単純に誇らしげに語ったりしたくはない。
先祖が植えた木を、他人に伐られるくらいだったら、自分で伐る。
なるほど、良いこころがけだ。
だがしかし、それもまた、止むを得ない、結果としての行為だ。
人間が伐らなくても、木は斃れ、土に還る。
もったいないから利用する、
それも結果論的な自己正当化でしかない。
本来土に還るべきものを、奪う行為なのだから。
伐るために植えたのだから、伐るのは当然
殺して食べるために家畜を育てる事と同じで、それを当然と開き直りたくない。
伐ることによって生かす
伐らないと山はダメになる
みんな言い訳だ
人がこの世に現れるよりはるかに前から
木は生きてきた
森林は存在した
人は最後にやってきて
まるで、自分が支配し、管理しているかように振る舞う
その結果を見るがいい
この惨めな森林の姿を
見るも無残な樹木のかたちを
それでも、なお、木を伐るのなら、自らの生命と、森林の生命のやりとりのなかで、
木を伐らせてもらっている、そういう自覚を持ちたい。
自分で伐ろうが、他人に伐らせようが、伐るという行為は、生命のやりとりであることを忘れてはいけない。
私は、決して自慢する気になれない。
褒められたりしたくない。
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