製材業に比べると素材生産業(山師)は付加価値生産では無いので、極めて零細で低収益。
もともと木材の世界は山主と製材業との関係で成り立っていて、キコリは単に伐り出しや手入れの労務者でしかない。
同じ零細企業でも、キコリの親方と製材所の社長を来れべれば、生活スタイルの違いは歴然としている。下世話なレベルで言えば服装が違うし乗ってる車が違う。
しかし近年では製材業は大規模化が進み零細業者は没落、新規参入はほとんど無い。
資本設備のレベルが全然違うので、ちょっとした志くらいでは製材業は始められない。
ところが素材生産業は零細な新規参入がいまでも盛んだ。
チェーンソーと小型林内車だけでも始められる。
保育(切り捨て)間伐の仕事もあるから、数年の現場経験と、多少のマネジメント力があれば、ホントに独りでも始められるのだ。
だが、そこには補助金行政のからくりがある。
製材という仕事自体には、国から補助が出る仕組みはないが、木を伐る仕事には直接補助が出る。
どちらも、零細規模では、それ自体としては成り立たない仕事なのだが、食っていけるかどうかという点では、キコリのほうが有利なのだ。
キコリの仕事、つまり木を伐るという作業が生み出す仕事には、いろいろな要素が絡んでいる。
地ごしらえ、植林、から下刈り除伐まで、伐採をしない山仕事も、いまではキコリが担うことが多いけれど、本来これはキコリでなくても出来る仕事であって、山師の世界ではない。むしろ山主の仕事であり、それを請け負う者の仕事だ。
除伐より大きな木の仕事は、伐採という作業が伴う。運び出すか切り置くかはともかく、山では木材が発生する。言い換えると材積が計算される。
大きく育つ前に全部伐り出してしまうことが無いように、何年以上たつまでは伐ってはいけないという意味で、標準伐期齢というものが定められていた。
伐り出しの実働を担うという意味では素材生産業は林業生産の中核的な存在でもあり、そこに公的資金を注入して、素材生産業を中心とした林業経営が構想されるようになってきた。
本来山主の組織であるはずの森林組合も事業体化し、素材生産を担うように仕向けらてきた、しかしそこには根本的な利益相反が生じてしまう。
山師は山主では無いというところで本質的には無責任だ
いまでも素材生産という立場に安住するという事は、木材流通チェーンのなかでは最底辺にとどまるということでもある。
そこを越えて行くためには、まず前後左右と手を取り合うという事が重要。
まずは地域の一員として根を生やした存在となることで、山師的な無責任状態を脱することしかない。
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