自然の存在すべてが
かけがえの無い
大切なものとして
生かされている
印度の仏典に直接依拠しない日本的仏教語として「山川草木悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」などという言葉がある。原型は中国にあり「草木国土悉皆成仏」というらしい。
もともとは涅槃経にある「一切衆生悉有仏性」という大乗思想がはじまりだ。
衆生とは人間や動物など人間に直接理解可能な魂を持つものたち、いわゆる有情の存在を指す。これらはみな縁起の現れ、すなわち仏性と理解し、成仏の道を開いた。
草木成仏の思想は、動物以外の生命、草木や、無機物であるる国土、あるいは山川というところまで拡大して、縁起=存在するもの、はすべて仏性、仏の姿の現れと理解した、いわば仏性の形而上学的深化ともいえよう。
しかも仏性⇔成仏という思想から「山川草木悉皆成仏」となるに至り、日本における八百万の神々との融合(神仏混交)がある意味で観念的に理解とされるようになった。
株式会社山川草木の屋号としての「山川草木」は、こうした仏教思想とはひとまず切り離したものとして考えている。
山川草木は、海の無い信濃國における、自然の在り様の表現であり、具体的には基盤岩から土壌生物、草本から樹木に至る、(森林)生態系ないしは「ヤマ」のことである。
信州のような環境においては、現に樹木が無い農地や都市もふくめて、森林生態系の一部であることから免れることができない。
人間はそもそも林縁の生き物なので、森林に入って樹木を伐り、農耕地や街をつくり、日々森林に出入りしながら暮らしてきた。
日本では古来森林は生活の場である「里」と対比させる意味で「山」と呼ばれた。
しかし「山」は常民が暮らす場ではない。
山の恵みの代表である木材を供給する山が杣である。
凡そ信濃は山国である。
信濃より東は若い山が多いので、概ね尾根は立ち、谷は深い。
その山川に生きる者のうち、山川そのものから直に糧を得るものが草木、つまり森林ということになる。
人間も含めた動物は、森林の生み出すものが無ければ生きていけない。
山川草木とは、人の暮らしの依代を示す標語なのだ。
青壮年期の山々の連なる、信濃國安曇郡仁科郷より発し、事業拠点を近世の松本藩に定め、全世界への発信をすすめる。未踏の領域へ踏み出す我らが心意気を見よ。
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