木を伐らないきこりがいた。
きこりは、伐採の名人だった。
一尺くらいまでの木なら、まるで草刈りでもするかのように、サクサクと伐り倒した。
枝の絡み合った二股の木を何本もまとめて伐り倒すなんて事ができる者は他にはいなかったし、あの硬い欅でも、きこりの鋸はまるで豆腐でも切るかのようにして幹を切り分けることができた。
崖っぷちの岩の間から生えている、大人が3人でも抱えきれないような、巨木を、たいした足場も造らずに伐ったこともあった。
するすると猿のように巨木をよじ登り、枝を何本か落として透かして見せるような事もやったし、芯が腐って傾き土蔵を潰しそうになっていた杉を、母屋の軒すれすれにかする用に寝かせることもできた。
どんな急斜面でも、大きな斧を抱えて駆けめぐり、むらじゅうの山の事はなんでも知っていた。
だから、金にするため木を売りたい者も、邪魔な木を片付けたい者も、みんなきこりを頼んで伐ってもらった。
木こりは一流の職人なのに貧乏だった。顔見知りから頼まれると高い金は取らない。稼いだ金はほとんど道具に使ってしまう。たまに難しい木を高い伐り賃をもらって伐った時も、仕事の帰りに手伝いの者たちに酒を振る舞い、自分も酔っ払って三日くらい仕事をしない。
「金のために木を伐るわけじゃない。木を伐ることができるから伐るだけ。」
「百姓ができないので、きこりになったが、木は食べられないから困る。」
よくそんな話しをしていた。
あるとき、木こりは木を伐るのをやめた。
斧を研ぐばかりで、ほとんど山にも入らない。
誰も木こりに仕事を頼まなくなったわけではない。
ただ昔と違って「俺はどの木を伐って良いのか悪いのかわからない、木こりさん山の事はあんたにまかせた、あんたが選んで伐ってくれ」というような話しばかりになってしまったのだ。
木の持ち主が、自分の木をどうしたら良いのかわからないという。
だが実は、決めたくない、考えたくないだけなのだときこりは思っていた。
むらには、昔のような良い木は少なくなっていた。なにしろ金になる木を端から伐ってしまったのだから。いまではよほどの山奥か、神社の杜くらいにしか、残っていないのだ。
木を伐りすぎた。誰もがそう気がついていた。若い木はたくさんあるが育つには時間がかかる。
木を伐る事は悪い事だという考えが広まった。むらは昔より活気が無く貧しくなっていた。
きこりは、伐った跡どうすれば次の木が育つかもよく知っていた。真っ直ぐで目の積んだ木を育てるやり方も詳しかった。どの木を伐ってはいけないか、どの木を伐れば他の木が良く育つか、誰よりもよくわかっていた。
しかし、皆が「山の事は木こりさんに任せた」と言うようになってから、ついに木を伐るのをやめた。
きこりは、木を伐り倒す事は木こりの仕事だが、どの木を伐るかは持ち主が決める事だと考えていたからだ。
どんな木でも伐る事ができる。
それは木こりにとって誇りだった。
だが、木を伐るという事は、楽な仕事ではない。
体力仕事で身体が疲れるというだけではない。
この一本を伐ると決めて、最初の斧を打ちこむときから、最後にツルを残して地響きとともに木が倒れるまで、木こりは木のことしか考えない。自分が木になったつもりで、自分を伐り倒すように伐る。そうしなければ自分が木に倒されると信じていたのだ。
山の気が弱くなって行くのを感じていた木こりは、もう木を伐る力が湧いてこないような気持ちにもなっていた。
そんな木こりが、久々に木を伐ることになった。
ー(未完)ー
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