仕事とは私事ではない †
仕事とは、仕えること。何に仕えるのかというのが問題だが、私は「事」そのものに仕えるというニュアンスで考えている。
誰かのためにやるのではない、その事を為すために、仕事がある。
稼ぎ仕事という言葉があるように、仕事と稼ぎは並列ではない。稼ぎ仕事というのは、仕事人の自嘲的な物言いであって、仕事そのものはそんな次元とは別にあると言って良い。
このような仕事は、私の役割であり、その役を果たすことが、生きていく上で不可欠なことなのだ。
もちろん稼ぎにならない仕事ばかりでは、生活がなりたたない。
仕事に対する対価は労働に対する対価とは微妙に違うということも意識しておく。
労働時間ではかられる労働には、それ自体に価値の概念を含まない。無駄な労働であっても、労働時間としては等価なのだ。
しかし仕事は時間で計られない。無駄な仕事というものも当然あるのだが、それは価値ある仕事と時間に換算して交換できるものではない。
仕事という言葉には、仕事の成果という意味も含まれている。骨董鑑定士の「良い仕事してますね」という言葉は、仕事の成果に対する言葉だ。
だが、仕事には成果の見えないものもまた多い。見えないことであっても、その行為における対象にあくまで忠実である。評価を意識せず、その事にただ仕える。それが目に見えない仕事の神髄でさえある。
こんな事を書いておきながら、私は仕事一般に対してそんなにストイックに考えているわけではない。むしろ、日々淡々とこなす、いわゆるルーティンワークこそが、仕事の大部分をしめる実際の姿なのだし、淡々黙々というなかにも、時間だけで計れない、その人の存在が投影されているのだ。
やるべき仕事、できる仕事、好きな仕事、これらのなかで最優先するのは、好きな仕事。日々やるべき事に忙殺され、ついついできる事に手を出しがちだが、好きな事こそが最優先課題。もしも仕事を通じて、何かとか誰かの役に立ちたいと思うなら、結局好きな仕事をやるしかない。
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