フィリピン発。新しいスペシャルティーコーヒー
コーヒーとの再会1年前まで家ではインスタントコーヒーばかり飲んでいました。
1983年から95年まで、私はフィリピンのミンダナオ島に日本の古い井戸掘り技術「上総掘り」を紹介する活動をしていたアジア井戸ばた会というNGO(民間の海外協力組織)に参加して、ミンダナオに通っていました。
フィリピンの人はコーヒーが好きですが、飲むのはインスタントコーヒーだけ、街のカフェでコーヒーを頼むと出てくるのはカップに入ったお湯とインスタントコーヒーのボトル、当時のフィリピンはそんな感じでした。
井戸掘りプロジェクトをやっていた農村では、外国資本に支配されたコーラやコーヒーなどは飲まず、大豆や米でコーヒー風の飲み物をつくろうという活動がありました。フィリピンにはまともなコーヒーは無い、10年以上フィリピンに通いながら私は勝手にそう思い込んでいました。
でも実情は違いました。私たちのような外国人が来たときにだけ、援助資金を使った食料の買い出しのときコーヒーを買い、あたかも日常のように私たちに振る舞いながら自分たちでも楽しんでいただけで、農村の日常生活ではインスタントコーヒーを買う余裕などまったく無かったのです。
ミンダナオでの上総掘りプロジェクトは、本来の人々のニーズである安全な飲料水の確保という意味では最適な方法とは言えないのではないか、という判断もあり終息へ向かいます。その最後の時期、私は新しい何かを求めミンダナオ各地の農村活動の現場を訪問していました。そこではじめて、地元産のコーヒーがあることを知ります。
しかしそれは思い付きを超えることはなく、程なくして私は生活の場を長野県に移し、林業を基本にした田舎の暮らしを始めます。私はミンダナオで出会った田舎の人たちと近い感覚で、もっと地面に近いところで土と汗にまみれて日々のくらしを築く道を選びたかったのです。山で暮らし山で働く日々、コーヒーのこともすっかり忘れ、1995年を最後にフィリピンどころか国外に出なくなってしまいました。ただ薬物としてのインスタントコーヒーへの依存だけは残っていました。
2021年の秋、フェイスブックのタイムラインに「コーヒー樹のオーナー募集」という文字を見つけました。それはミンダナオのアポ山の麓の零細コーヒー農家の活動を支援しようというクラウドファンディングの募集でした。ミンダナオとコーヒーという単語に私の気持ちは20数年前に飛ばされました。少しくらい支援してみようかな、そう思ってコーヒー豆400gのリターンのついた支援を選びました。年末、忘れたころにコーヒー豆が届きましたが、コーヒーミルさえも手元に無い状態で、すぐに飲むこともできません。年が明けてからとりあえず安いミルを買ってきて、本当に久々にドリップして、、それは素晴らしいコーヒーでした。と同時に自分ならこんな焙煎にしたいなとの思いもおこります。そこで生豆のサンプルを購入、信頼できるプロに焙煎を依頼しつつ、自分の焙煎も復活を目指して再開、商品化構想、レベルの差に愕然として情報収集と再研究、あっと言う間の一年でした。
この40年ほど間にコーヒーの世界はすっかり様変わり(ということを学んだ1年でした)、スペシャルティーコーヒーと呼ばれる履歴のはっきりした高品質の豆、最新の科学に基づいた焙煎理論、あたらしい焙煎機、そして新しいスタイルのカフェなど、大昔の私のコーヒー観では思いもかけないハイレベルな世界が広がっています。ついていけないなと思うよりは、新鮮な驚きと期待感とともに、復帰2年目に向かいます。
コーヒー産地としての歴史はあるものの、最も後発とも言えるフィリピン、ミンダナオのBACOFA農協の取り組みはようやく芽を出したという段階。
|