https://www.facebook.com/yunikayama/posts/10212168077386991

林業や木材の事を研究しようとしたら、とりあえず生態系や人間社会についての研究とつながらなければ、面白みが無いし、成果を活かしにくいと思う。

カラマツを植えて育てて使うということは、きわめて林業的で林学的で木材学的で、およそ自然ではなく、かと言って不自然でもない。

そんな事を妄想する。

カラマツを植えるということは、ほぼ確実にいままでカラマツの居なかった森林にカラマツを連れてくるということ。
なぜならカラマツの天然林というのは極めて限られた場所にしか存在せず、木材生産を目的とした造林はこうした天然カラマツ林とはかなり条件の違う場所で行われることがほとんどだからだ。
もちろん、いまではカラマツの造林地で主伐跡にカラマツが再造林されることも多くなっている。しかし、造林地はカラマツの現生地とは異なる生態環境であることにはかわりなし。

カラマツに限ったことではないが、まとまった面積に人工的な造林を行うと植えた樹と共生する生物と競争する生物が、一斉に動き始める。
土壌微生物の働きが無ければほとんどの樹木は生存して行けない。カラマツは菌根菌であるハナイグチなどと共生関係をつくる。これらの菌類はカラマツがいなくても多くの土壌中にそれなりに存在しているので、カラマツが植えられるとそこに集まり数を増やしながら、カラマツの生育を助ける。
(このように簡単なストーリーをわずかな予備知識で描くことはできるが、厳密な研究課題として、「カラマツ造林地における土壌微生物群の変化」のような研究が進められれば、思いつきの予断を廃した厳密な構造が明らかになるだろうし、見落とされている多くの事が解明されるに違いない)

これのカラマツ版かな
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/431/documents/431-1.pdf

一般に林業で人工造林を行うときには、目的は単純に木材生産である。だから造林技術者や林業家は「雑草木を刈りはらわないとカラマツ林が成立しない」くらいの事しか考えない。そこで植付密度をどのくらいにしたら、下刈回数がどのくらいで済むのか、という事を研究する。

通常の造林の発想では伐期までの総支出と総収入を比較してプラスにならなければ人工造林は意味が無いはずで、そのような収支を考えて、造林や保育の手順を考える。いまや低コスト造林は流行の研究テーマだ。

しかし、森林の価値は木材生産だけにあるわけではない、カラマツが森林にもたらす価値を生態学的に評価してみたい。主目的樹種であるカラマツだけでカラマツを林を考えるのは、木を見て森を見ずというものだ。

たとえば下刈りや除伐という保育施業において、刈られる雑草木にも価値がある可能性は否定できない。生態系サービスという価値を考えなくても、現に木質材料として、たんなるマスで無い価値があるという実例もある。だから除伐で収益が得られるというモデルも考えられるのだ。

カラマツは生育初期の15年~20年くらい(本当は年数でじゃなくてカラマツ自身の何か生理的な事情がありそうだけど)は、材のネジレが強い。そこで若い頃はあまり太らないようにして、成熟材ができる頃からはどんどん太らせれば、使いやすい材が採れる。
こんな都合の良い育林が技術的に可能なのかどうか、実証実験には長い時間がかかるので、なかなか取り組めない。

それにその木材が使いやすいかどうかというのは、使う人が決めることであって、カラマツ自身には無関係だし、林業家の考えかたに従うわけでもない。

一般に嫌われるネジレとか脂というものはカラマツにとってはきわめて重要な何らかの意味があるはずで、これらも充分に研究を深める価値がありそうだ。

ネジレや脂は使う側にとっても意味があることかも知れない。土木用杭丸太を使う人にとっては繊維がネジレていることはメリットである可能性は否定できない。直感的にはそう感じるのだが・・誰か調べてないか?

林学や木材学の人たちは、良いものがたくさん出来ればということばかり求めてしまうところがある。でも使う人にとって何が良いものなのかというのは一様ではない。それに、どんなものがどのくらい要るのか、あまり考えないで量産すれば市場価値が下がってしまうことは明らかだ。

カラマツ材は美しいとカラマツ林業家や研究者は言う。
けれど、スギもヒノキも、もちろん美しい。カラマツ材の美しさの原因つまり人はカラマツ材に何に美を感じるのか。

美しさを活かすために必要なのは、乾燥技術だけでない、カラマツ材を材として愛でる人もたまにはいるかもしれないが、ほとんどの場合木材は何かに形を変えてこそ活かされる。そこではデザインという要素がきわめて重要になるのだ。

それも木材一般ではないデザイン、スギやヒノキとは違う、カラマツ材の固有の価値を引き出すデザインが求められる。

デザインとは造形のことだけではない、木材は芸術品として用いられるよりも、実用的な建築や家具、器具、道具として用いられることの方が多いのだ。

カラマツ利用の歴史は他の樹種に比べればはるかに浅いから、伝統の中からは良いモデルは見つからないかもしれない。

そこは現代における木質デザインという新しい課題が示されている場であり、カラマツという個性的な木材が、どのような可能性を秘めているのか、多様な才能による創造的探求が待たれる。

よくカラマツ林は美しいと言われる。しかし林内に入って美しいカラマツ林はほとんど無い。だいたいの人工林は手入れ不足で林内には入りたくも無い状態だが、カラマツ林の林床は藪か笹で覆われていて人を寄せ付けないことが多い。

どうしたら林内も美しい、散策して楽しいカラマツ林ができるのか
そのような森林でカラマツを育成し伐り出す林業は成り立つのか。
(実はそういうカラマツ林は実在している!)
風致施業から森林美学への領域において、多様な樹種との混交林を形成しやすいカラマツ林は格好のフィールドを提供している。

カラマツは盆栽から庭園に至る世界でもまた注目の樹種だ。

他にもいろいろと研究してみたい人はいるはずだ。

そんな感じで、林学や木材学だけでなくて、とりあえず隣接するあらゆる領域、そして思いもつかない離れたところまで、いろいろひっくるめて、カラマツ学を(もっと言えば森林木材学なんだが)妄想してみたら、面白くなってきた。

公的予算はつかなそうだけど、民間のスポンサーとかクラウドファンディングで財源をつくることも考えられる。もちろん趣味なんだから手弁当が基本だけれども、意欲ある研究者や林業家のために資金は必要になってくる。それがカラマツ材の売上から賄うことがもちろん理想ではあるけれど、今すぐには資金が足りないのだ。

とにかく徹底して相当程度以上にディープにいろいろやってみたらどれほど楽しいだろう。

カラマツを人里近くに下ろしてきてカラマツ林を造った我々の先輩達の基本的な思いは、カラマツを生かせば豊かな暮らしができるということだったはずだ。

カラマツを直接食べられない人間がカラマツで食っていく。それは夢物語ではない、それが実現できることが、「カラマツ学」の目指すことだ。

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