人生ゲームにはあまり興味が無いけど、人生はゲームだという感覚が芽生えてきた。

本来ゲームは遊びだ。

現実世界を抽象化したものだ。

そこには抽象化されたルールがある。

ゲームは大抵の場合、目的を達成しようとする。

共通のルールに従って目的を目指す相手がいる。

相手は自分自身のこともある。

現実と無関係なゲームは理論的にはあったとしても面白くない。

プレイしたいと思わせることが、ゲームが流通するための最初の一歩。

遊びだから、はじめから参加しなかったり、途中で抜けたりできる。

人生に参加しないということはできない。

途中で抜けたら二度と戻れない。

生きて行くと様々な出来事に出会う。

出来事には、場所と時間がある。

それを場面と呼ぶことにする。

人は場面を受け止め、働きかけながら生きている。

場面と人との相互作用により、人も場面も変化する。

ただ受け止めるだけでなく場面を「何か」として抽象化し対象化する。

抽象化・対象化することで、検討して判断することができる。

予測して先回りしたり、振り返って評価したりする。

それを繰り返すうちに、場面は現実の出来事とずれてくる。

こうした繰り返しの経験から、抽象化した現実を切り離した遊び、ゲームが創造された。

途中から参加したり、途中で抜けられるから、生活に差し障ることが少ない。

現実生活でも、様々な場面をゲームとして切り離して考えることができる。

人生全部ではない、特定の場面ならゲームと似ている。

とりあえず勢いで書きはじめた、編集校正しながらしばらく続く

Yahoo!ブックマークに登録 Google ブックマーク
clip!