思うことがあり、知っていることがあり、言いたいことがある。

それを、誰かに伝えたいと思うとき、人はコトバを使う。

文章を書く、絵を書く、歌を唄う、伝える手段はいろいろある。

それらは、いずれも、コトバの変種だ。

そのなかでも、言語というコトバは、語ることと書くことで伝える手段。

ここでは、まず日本語で文章を書いているけれど、言語的な伝え方は、

他の言語に置き換えることがある程度可能だ。

音声言語で伝えるときには、演説や説教のような一方的な語りと

双方向的な対話や多方のかかわる会話がある

文章というのは、一方的な語りの一種だが、文字で記される、つまりそこに固定されるので、何度も読み返すということを通じて、一種の対話を形造ることができる。

いくら事実を丁寧に正確に文章にしたとしても、簡単には伝わらない。

一方的に伝えようとしても伝わらないことが多い。

読み手を引き込むことができれば。
繰り返し読んだり、記された言葉の裏や奥や周辺にまで、思いを馳せることができる。

それは、すでにある種の対話の始まりであるし、あたらしい創作でさえある。

事実はより深い意味を帯びて、読み手に伝わる。

伝わるとは、そこで再創造が起こるということだ。

そのようなコトバを孕んだ文章は、他のあらゆる表現と並んで、より直接的に、意味の背後にある存在を伝え、人を動かすことができる。

そのような文章が書けるようになりたい。

そのためには、どのような修行・研鑚が必要なのか。

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